リトアニア市民同盟

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 リトアニア政党
リトアニア市民同盟
Lietuvos piliečių aljansas
成立年月日 1996年
政治的思想・立場 少数民族の権利擁護
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リトアニア市民同盟リトアニア語: Lietuvos piliečių aljansas、略称: LPA)は、リトアニアの政党

歴史[編集]

1996年ヴァレリイ・トレトヤコフらが中心となりリトアニア少数民族同盟リトアニア語: Lietuvos tautinių mažumų aljansas)が設立された[1]。同年8月14日、司法省にて登録を行った。1997年、トレトヤコフは「トンネルの先に光が見えない」として同党を離党[1]。同年、リトアニア少数民族同盟はリトアニア市民同盟に改称され、メチスロヴァス・ヴァシュコヴィチュスが党首となった[1]

1997年地方選挙で、ヴィサギナスで9議席、ヴィリニュス市で10議席、クライペダで7議席、シャルチニンカイで1議席を獲得した[1]。しかし2000年になると、ヴィサギナスで3議席を獲得するにとどまった[1]。2000年の選挙での敗北を機に党内の分裂が始まり、党首のヴァシュコヴィチュスが離党する結果となった[1]。その後はヴィアチェスラフ・シュキルが党首を務めたが、後に彼は同党を離れ、労働党に移った[1]

2005年、リトアニア市民連合リトアニア語: Lietuvos piliečių sąjunga)に改称し、ヘンリカス・ジュカウスカスが党首となった[1]。2006年、労働党の議員数名が加わり、市民民主党となった[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i Jūratė Damulytė. „Naujas mūras – ant išgriuvusių pamatų.“ Delfi.lt. 2006 m. gegužės 15 d. 2014年8月21日閲覧。