劉武 (城陽王)

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劉 武(りゅう ぶ)は、紀元前2世紀から紀元前1世紀、古代中国の前漢時代の城陽王である。生年不明、没年は天漢4年(紀元前97年)。死後、恵王(けいおう)と諡された。

父は城陽王の敬王劉義[1][2]。子に劉順劉休がいた[3]

劉武は父の死後、元封3年(紀元前108年)に城陽王を嗣いだ[1][2]。11年後の天漢4年(紀元前97年)に死に、子の劉順が後を嗣いだ[4]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『漢書』巻14、諸侯王表第2。斉悼恵王肥以下。
  2. ^ a b 『漢書』巻38、高五王伝第2。ちくま学芸文庫版『漢書』4、266頁。
  3. ^ 『漢書』巻15下、王子侯表第3下、高郷節侯休。
  4. ^ 『漢書』の諸侯王表第2では、12年。高五王伝では11年。12では計算が合わない。漢籍電子文献資料庫は、王先謙の説に従って11とする。

参考文献[編集]