多功秀朝

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多功 秀朝
時代 戦国時代安土桃山時代
生誕 大永6年(1526年
死没 文禄4年5月25日1595年7月2日[1]
別名 綱賀?
氏族 多功氏
父母 父:多功房朝
兄弟 多功秀朝多功綱継
俊凉院(上三川頼成の娘)[1]
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多功 秀朝(たこう ひでとも)とは戦国時代安土桃山時代の武将。下野国大名宇都宮氏の家臣。宇都宮氏庶流の多功氏。父は多功房朝。弟に多功綱継

多功房朝の死後、家督を継いだが、秀朝には子がいなく病弱だったため弟の多功綱継が家督を継いだという。系図には多功綱賀と書かれているが誤記の可能性が高いと言われている。

脚注[編集]

  1. ^ a b 『栃木県史 史料編 中世 4』(栃木県、1979年)p.497