大伴部益国

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大伴部 益国(おおともべ の ますくに)は、766年に日本の陸奥国にいた人物である。国府多賀城跡から見つかった木簡によってのみ知られる。

解説[編集]

益国の名が記された木簡は、陸奥国の国府があった多賀城跡で実施された第83次発掘調査で見つかった。場所はゴミ捨て用に掘られたと思われる穴の跡の中である[1]

木簡(多賀城跡出土第417号木簡)は幅広の板で、その中の一箇所だけ判読できるところに、「大伴部益国」の名が見えた。裏には「平神護」「奈須直広成」と見え、平神護は前後をあわせて「天平神護二年」と読めそうである[2]。西暦ではおおよそ766年にあたる。益国の名があった面には人名が列挙されていた可能性が高いが、その用途ははっきりしない[3]。多賀城で年紀の入った木簡の例は少ないので、年代決定のてがかりとして貴重である[3]。。

脚注[編集]

  1. ^ 『多賀城跡木簡』II、18頁。
  2. ^ 『多賀城跡木簡』II、66頁。
  3. ^ a b 『多賀城跡木簡』II、67頁。

参考文献[編集]

  • 宮城県多賀城跡調査研究所『多賀城跡木簡』II(宮城県多賀城跡調査研究所資料 III)、2013年。
  • 宮城県多賀城跡調査研究所『多賀城跡木簡』II・図版編(宮城県多賀城跡調査研究所資料 III)、2013年。