太史叔明

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太史叔明(たいし しゅくめい、474年 - 546年)は、南朝梁老荘学者本貫呉興郡烏程県。姉妹の子は沈峻

経歴[編集]

太史慈の末裔とされる。若くして『荘子』や『老子』に通じ、『孝経』や『礼記』をも修めた。『老子』・『荘子』・『周易』の理解は最も精密で、当時に冠絶していた。講義をおこなうたびに、聴講する者は500人を越えた。官は国子助教をつとめた。邵陵王蕭綸は叔明の学問を好み、大同3年(537年)に蕭綸が江州刺史として出向すると、叔明は王に連れられて湓城に赴いた。大同6年(540年)、蕭綸が郢州刺史に転じると、叔明はまた王に随行し、いたるところで講義をおこなって、江外の人士にもその学問を伝えた。

中大同元年(546年)[1]、死去した。享年は73。

脚注[編集]

  1. ^ 『梁書』巻48は叔明の死去年を「大同十三年」とするが、大同年間に13年は存在しない。

伝記資料[編集]