孫本文

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孫 本文
人物情報
生誕 1891年????
江蘇省呉江県(蘇州市呉江区)
死没 1979年2月1日(1979-02-01)(88歳)
中華人民共和国の旗 中国 江蘇省南京市
出身校 北京大学イリノイ大学ニューヨーク大学
学問
研究分野 社会学
研究機関 復旦大学南京大学
学位 社会学博士
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孫 本文(そん ほんぶん;英語: SUN Ben-wen1891年-1979年2月)は、中国社会学者

来歴[編集]

1891年(光緒16年)、江蘇省呉江県七都郷(蘇州市呉江区)で生まれた。1915年、北京大学哲学系に入学。1918年に北京大学を卒業し、国立南京高等師範学校[1]附属中学校で教職に就いた。学校では国文と哲学を教えた。

1921年、アメリカへ留学。イリノイ大学大学院大学院で学び、1923年に社会学修士号を取得。1922年からコロンビア大学大学院、1924年からはニューヨーク大学大学院で学び、1925年にニューヨーク大学で社会学博士号を取得した。シカゴ大学でも研究した。

1926年に中国へ帰国し、上海・大夏大学で短期間教員を務めた後、復旦大学社会学部の教授となった。1929年、現・国立中央大学[2]の社会学部教授に就任。1930年、「中国社会学社」が立ち上がると、社長兼雑誌『社会学刊』主編を務めた。1930年5月、国民政府教育部高等教育司司長を務めた。1941年には、教育部聘教授(招聘教授)となった。

1949年、中央大学は南京大学と改称。1952年に政治的な原因で社会学部が廃止となると、南京大学地理系教授となった。1951年には、中国共産党の指導下で華東革命大学政治研究院に入り、思想改造を行った。1962年からは、南京大学政治系と哲学系で教えた。

1979年江蘇省南京市で死去した[3]

研究内容・業績[編集]

評価[編集]

アレックス・インケルスは、著作で孫本文のことを中国の代表的社会学者と評価している[4]など、当時影響力の強い社会学者だったことが窺える。

出典[編集]

  1. ^ 1928年に「中央大学」に改称。
  2. ^ 大陸では現・南京大学(1949年に改称)。国共内戦で台湾に渡った本校は現・国立中央大学
  3. ^ 孫本文「中国の社会学」(星明訳、佛教大学社会学部論集、2016年)の付録、孫本文学術年譜
  4. ^ A.インケルス『社会学とは何か』(辻村明訳、1967年至誠堂)