宝幢院 (大田区)

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宝幢院
所在地 東京都大田区西六郷2-52-1
位置 北緯35度32分53.3秒 東経139度42分23.1秒 / 北緯35.548139度 東経139.706417度 / 35.548139; 139.706417座標: 北緯35度32分53.3秒 東経139度42分23.1秒 / 北緯35.548139度 東経139.706417度 / 35.548139; 139.706417
山号 大綱山
院号 寳幢院
宗派 真言宗智山派
本尊 阿弥陀如来
創建年 平安時代末期または鎌倉時代
開山 行観
正式名 大綱山光明寺寶幢院
札所等 玉川八十八ヶ所霊場88番札所、東海三十三観音霊場17番札所、武蔵不動尊22番札所
法人番号 3010805000265 ウィキデータを編集
宝幢院 (大田区)の位置(東京都区部内)
宝幢院 (大田区)
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宝幢院(ほうどういん)は、東京都大田区西六郷にある真言宗智山派寺院

概要[編集]

寺伝では、平安時代末期、行観によって開山された[1]。行観は真言宗醍醐寺塔頭光台院(現在の宗派では真言宗醍醐派)の出身という[2]

一方、江戸幕府昌平坂学問所が編纂した『新編武蔵風土記稿』には、鎌倉時代光明寺の行観によって開山されたとしている[1][3]。光明寺は行基によって開山され、弘法大師空海が中興した真言宗の寺院であった。ところが寛喜年間(1229年1232年)になり浄土宗に転宗した。行観は、弘法大師の寺が消滅することを惜しみ、別に一寺(当院)を設けて隠棲し、二世以降を真言宗の僧侶に譲ることにしたという。そういう経緯から、光明寺と同じ院号・寺号「宝幢院光明寺」を持ち、当院は「宝幢院」を、もう片方の寺は「光明寺」を通称とすることになった[2][3]

交通アクセス[編集]

参考文献[編集]

  • 新倉善之 著『大田区史跡散歩 (東京史跡ガイド11)』学生社、1992年
  • 「高畑村 宝幢院」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ42荏原郡ノ4、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763981/31 
  • 「鵜ノ木村 光明寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ44荏原郡ノ6、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763981/62 

脚注[編集]

  1. ^ a b 新編武蔵風土記稿 高畑村.
  2. ^ a b 新倉善之 著『大田区史跡散歩 (東京史跡ガイド11)』学生社、1992年、104-106p
  3. ^ a b 新編武蔵風土記稿 光明寺.

関連項目[編集]