性信(しょうしん、文治3年(1187年) - 建治元年7月17日(1275年8月9日))は、鎌倉時代中期の浄土真宗の僧。俗姓は大中臣与四郎。常陸国の出身。親鸞二十四輩の筆頭。
1204年(元久元年)熊野へ参詣したのちに法然に師事して浄土教を学び、のちに親鸞の弟子となった[1]。下総国横曾根(現在茨城県常総市)に報恩寺を建立し、横曾根・飯沼を中心とする横曾根門徒の中心的人物となった。1249年〜1256年の鎌倉幕府による念仏弾圧への対応で活躍した[1]。
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