梁炳日

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

梁 炳日(ヤン・ビョンイル、朝鮮語: 양병일1910年1月27日[1] - 1962年9月5日)は、大韓民国弁護士政治家。第2・5代韓国国会議員。

本貫南原梁氏朝鮮語版[2]

経歴[編集]

全羅南道康津郡出身。中央大学法学部卒。高等文官試験司法科に合格した後は東京で弁護士を務め、東京弁護士会に所属した。帰国後は光州弁護士会会長、朝鮮弁護士会全羅南道支部長、大同青年団光州支団部副団長、大韓青年団光州市団長、韓国青年団光州市団長、民主党全南道党委員長を歴任した[2]。1950年の第2代総選挙に康津郡選挙区から民主国民党所属で出馬して当選し、1960年の第5代総選挙に同選挙区から民主党所属で出馬して当選した[1]

1962年9月5日に聖母病院にて脳溢血により死去[3]

エピソード[編集]

第2代国会議員として在任中、1952年3月7日の第12回第28次国会本会議において、財務部長官の白斗鎮を『こんにちの財政政策についてかなりの批判があり、ある者は『利敵財政』だと酷評しています。』という旨で糾弾し、物議を醸した[4]。1953年4月29日の第15回第64次国会本会議において、前述した件について「物議を醸したことも知っています」という旨を述べ、その評判を再び引用して演説した[2][4][5]

脚注[編集]

  1. ^ a b 대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2023年11月30日閲覧。
  2. ^ a b c 자료일람 | 한국사데이터베이스”. 2023年11月30日閲覧。
  3. ^ 人事消息(인사소식)”. NAVER Newslibrary. 조선일보 (1962年9月6日). 2023年11月30日閲覧。
  4. ^ a b 국회회의록-회의록검색”. likms.assembly.go.kr. 2023年12月1日閲覧。
  5. ^ 記者席(기자석)”. NAVER Newslibrary. 경향신문 (1953年5月2日). 2023年12月1日閲覧。