欧陽詹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

欧陽 詹(歐陽 詹、おうよう せん、生没年不詳)は、中国文人学者は行周。本貫泉州晋江県

経歴[編集]

その祖先は代々泉州の州佐や県令をつとめた。建中元年(780年)、常袞福建観察使となると、欧陽詹は羅山甫とともに見出された。貞元8年(792年)、進士に及第し、韓愈李観李絳崔群王涯馮宿庾承宣らとともに「龍虎榜」と称された。福建の人で進士に及第したのは、欧陽詹が最初であった。

国子監四門助教となり、韓愈を推薦して四門博士とするよう運動した。40数歳で死去した。死後に『欧陽行周文集』10巻が編まれた。

詩人としての彼[編集]

作品に、『題延平剣潭(延平の剣潭に題す)』(七言絶句)がある。

題延平剣潭
想像精霊欲見難 精霊を想像し 見んと欲すれども難し
通津一去水漫漫 通津(つうしん) 一(ひと)たび去って水漫漫(まんまん)たり
空余昔日凌霜色 空しく余す 昔日 霜を凌(しの)ぐ色
長與澄潭生昼寒 長(とこし)えに澄潭(ちょうたん)と与(とも)に昼寒(ちゅうかん)を生ず

伝記資料[編集]

出典[編集]