湯浅貞太郎
湯浅 貞太郎(湯淺、ゆあさ さだたろう、1850年(嘉永3年2月[1][2])- 1911年(明治44年)8月16日[1][2])は、日本の政治家。衆議院議員、徳島県勝浦郡小松島町長。
経歴[編集]
阿波国勝浦郡田野村(現徳島県小松島市田野町)で、庄屋湯浅家・4代佐平次の長男として生まれる[2][3]。私塾で学び、漢学、剣術、馬術を修めた[1][4]。
徳島藩主蜂須賀家の家債整理について尽力した[3]。1870年4月(明治3年3月)勝浦郡四番里長に就任し、以後、同郡第二小区用係、学校世話係、地租改正委員総代を歴任[4]。徳島県が高知県に属していた1879年(明治12年)1月から名東郡、勝浦郡各書記を務めた[4]。
1882年(明治15年)に結成された立憲改進党に参加[5]。同年6月、徳島県会議員に当選した[1][2][4][6]。1889年(明治22年)小松島村が村制施行し村会議員に選ばれ兵務世話役を務めた[1][2][4][7]。1891年(明治24年)12月、小松島村長に就任し1894年(明治27年)2月まで在任[1][2][4][8]。同年3月、第3回衆議院議員総選挙に徳島県第一区から出馬して当選し、次の第4回総選挙でも当選し、自由党に所属して衆議院議員を2期務めた[1][2][4][6]。1895年(明治28年)に小松島村会議員に再選され1898年(明治31年)まで在任した[9]。
1898年(明治31年)10月に小松島村長に再就任し、1908年(明治41年)11月に小松島村が町制施行して同町長となり1909年(明治42年)まで在任した[1][2][4][8]。この間、小松島港修築の実現に尽力した[4]。また、小松島村会議員を1901年(明治34年)から1904年(明治37年)までと、1907年(明治40年)から務め、1908年、町制施行により町会議員となり1910年(明治43年)まで在任した[9]。
その他、阿波国共同汽船副社長、大日本教育会勝浦郡会理事、勝浦郡教育会長、所得税調査委員などを務めた[1][4]。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 徳島県史編さん委員会編『徳島県史』第5巻、徳島県、1966年。
- 小松島市役所編『小松島市史 : 旧小松島町の巻』小松島市役所、1952年。
- 東江鈴木善作編著『地方発達史と其の人物 四国之巻』郷土研究社、1942年。
- 『第一回乃至第十九回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1936年。