満願寺 (足立区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
満願寺

地図
所在地 東京都足立区栗原3丁目6-6[1]
位置 北緯35度46分42.9秒 東経139度47分07.0秒 / 北緯35.778583度 東経139.785278度 / 35.778583; 139.785278座標: 北緯35度46分42.9秒 東経139度47分07.0秒 / 北緯35.778583度 東経139.785278度 / 35.778583; 139.785278
山号 迦羅陀山[1]
宗旨 真言宗[2]
宗派 豊山派[2]
本尊 延命地蔵菩薩[1]
開山 天正2年(1574年)[1]
正式名 迦羅陀山千蔵院滿願寺[1]
法人番号 2011805000306 ウィキデータを編集
満願寺 (足立区)の位置(東京都区部内)
満願寺 (足立区)
テンプレートを表示

満願寺(まんがんじ)は、東京都足立区にある真言宗豊山派の寺院。新四国四箇領八十八箇所霊場第3番札所[3]

歴史[編集]

詳しい創建時期は分かっていないが、1573~1592年の間に創建された[4]

明治時代の初め宗派名の改称に伴い、真言宗新義派になったが、1900年に再び改称があり新義真言宗豊山派になった。

その後、戦時中に真言宗各派合同のためこの宗派は解散したが、1946年以降に再び分離し、真言宗豊山派と称するようになった。

1877年には本堂・庫裡を始め大師堂もあったが、大師堂はその後取り壊されたらしい。

1923年9月の関東大震災により諸堂宇は大破し、1945年4月13日の空襲によって本堂・庫裡は焼失してしまったが、1970年に現在の本堂・山門を再建した。

1985年、尾竹橋通りが境内墓地の一部を縦貫したため、墓地の大改葬を行った。

1991年には客殿、庫裏が完成している[5]

境内[編集]

  • 山門
  • 本堂―1923年大正12年)9月の関東大震災により焼失したが、1970年昭和45年)に再建[2]。本尊の延命地蔵菩薩像が安置されている。
  • 墓地
  • 墓碑―旧墓地のあった場所に建てられている[6]
  • 庫裡
  • 関東大震災横死者群霊供養塔―1923年(大正2年)年9月1日の関東大震災により横死した、48名の霊を供養するために建てられた塔[2]。境内墓地の奥にある。
  • たぬき塚の碑―たぬきにまつわる昔話にちなんで1988年(昭和63年)に作られる[2][7]。山門を入って左側の塀に沿って建てられている[2]

年中行事[編集]

1月20日 修正会[1]

7月13日~15日 孟蘭盆法会[1]

7月24日 お施餓鬼会[1]

交通アクセス[編集]

鉄道

東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)・東武大師線西新井駅下車、徒歩10分[1]経路案内)。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 『足立区仏教会その歩みと名鑑』足立区仏教会、1989年、81頁。 
  2. ^ a b c d e f 『足立風土記稿 地区編5 梅島』足立区教育委員会、2001年、104頁。 
  3. ^ 新四国四箇領八十八箇所霊場札所一覧”. 三郷市. 2021年12月23日閲覧。
  4. ^ 『『絵で見る年表 足立風土記』』足立区教育委員会、1992年、221頁頁。 
  5. ^ 『足立風土記稿 地区編5 梅島』足立区教育委員会、2001年、334頁頁。 
  6. ^ 『足立区における神社・寺院』足立区教育委員会、72頁頁。 
  7. ^ 『ブックレット足立風土記 梅島地区』足立区教育委員会、2002年、16頁頁。 

参考文献[編集]

  • 『足立区仏教会その歩みと名鑑』足立区仏教会、1989年
  • 『足立風土記稿 地区編5 梅島』足立区教育委員会
  • 『絵で見る年表 足立風土記』足立区教育委員会、1992年
  • 『足立区における神社・寺院』足立区教育委員会
  • 『ブックレット足立風土記 梅島地区』足立区教育委員会、2002年

関連文献[編集]

関連項目[編集]