出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "片桐貞彰" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年4月) |
片桐 貞彰(かたぎり さだあき、明和8年2月25日(1771年4月9日) - 文政5年1月20日(1822年2月11日))は、大和国小泉藩の第7代藩主。
第6代藩主片桐貞芳の長男。正室は水野忠鼎の娘。子は片桐貞信(長男)、娘(木下利広室)。官位は従五位下、主膳正。幼名は孫千代、通称は主膳。
天明7年(1787年)11月1日、将軍徳川家斉に御目見する。同年12月8日、父の隠居により跡を継ぐ。同年12月18日、従五位下・主膳正に叙任する。文化12年(1815年)9月21日、隠居し、長男貞信に家督を譲った。文政5年(1822年)正月20日、52歳で死去した。
片桐氏 小泉藩7代藩主 (1787年 - 1815年) |
---|
|