現代ウクライナ文学

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現代ウクライナ文学ウクライナ語: сучасна українська література)とは一般的には1980年代後半以降に書かれたウクライナ文学を指す。ソヴィエト連邦時代にはウクライナ文学は社会主義リアリズムを強制されていたが、ソ連崩壊後は政府による検閲がなくなり表現の自由が生まれた[1][2]。現代ウクライナ文学は、過去にはタブーだったテーマを扱うようになり、新しい様式を取り入れている[3]

歴史[編集]

時代的な定義は1980年代後半以降を指し、チェルノブイリ原発事故ペレストロイカ、詩人グループのブー・バー・ブーウクライナ語版が結成された時期にあたる[4]。現代ウクライナにおいて原発問題、独立運動、文学は結びついており、1986年のチェルノブイリ原発事故の後に、モスクワ政府との対立やウクライナ語の公用語運動が行われた。1989年の言語法でウクライナ語が公用語となり、1991年のソ連崩壊と独立によってソ連時代に検閲されていた作品の復刊や再評価が進んだ[5]

世代によって作風に違いが見られる。1928年から1947年生まれの作家は1960年代以降から活動しており60年代人ウクライナ語版と呼ばれ、「心の亡命」の世代とも呼ばれる[注釈 1][1]。1939年から1953年生まれの作家は1970年代から活動しており、ポスト60年代人ウクライナ語版で内向的とも呼ばれる[注釈 2]。1949年から1965年生まれの作家は80年代人ウクライナ語版で個人主義でメランコリーの世代とも呼ばれる[注釈 3]。1964年から1977年生まれの90年代人ウクライナ語版は、検閲がなくなって文学を多様化した世代とも形容される[注釈 4]。1978年から1988年生まれの作家は自己PRやパフォーマンスがうまい世代とも呼ばれる[注釈 5]。さらに2010年代以降に活動を始めた作家や、世代的な特徴では区分できない作家もいる[8]

言語[編集]

言語的な定義は、ウクライナ在住またはウクライナをテーマとするウクライナ語ロシア語作家の作品を主に指す。これに加えて、ウクライナ語とロシア語の混合語スルジクの作品や、国外の作家がウクライナ語や非ウクライナ語で執筆した作品もある(後述[4][9]

ウクライナ語は古東スラヴ語をもとにしており、ロシア語やベラルーシ語に近い。ウクライナがロシア帝国領やソ連の構成国だった時代には、ウクライナ語はしばしば使用を禁止された[注釈 6]。独立後はウクライナ語の復権が行われている[13]

作品形式とテーマ[編集]

ソ連時代の文学では社会主義リアリズムが強制され、ウクライナ文化の表現が迫害の対象だった[2]。独立後は言語や表現の抑圧がなくなり、作家の挑戦によってそれまでになかったジャンルの作品も発表された。また、国外の文芸作品の翻訳が読まれるようになった[14]。解放と自由によって1990年代から2000年代に重要な作品を発表した作家として、ユーリー・アンドルホーヴィチエフゲン・パシュコフスキウクライナ語版オレーシ・ウリャネンコウクライナ語版、オクサーナ・ザブジェコ、ユルコー・イゾドリックウクライナ語版ステパーン・プロチュクらがいる[注釈 7][15]

詩、歌謡[編集]

ユーリー・アンドルホーヴィチ

1987年に結成された詩人グループのブー・バー・ブーは、ペレストロイカ期の1987年から1992年にかけてリヴィウキーウで詩の朗読会を行い、風刺と笑いの作風で人気を集めた[16]。ブー・バー・ブーのメンバーであるユーリー・アンドルホーヴィチは現代ウクライナ文学の牽引者として知られており、小説やエッセイも発表し、ハンナ・アレント賞などで国際的な評価を得ている[17][18]

セルヒー・ジャダン

セルヒー・ジャダンは繊細な詩とソ連崩壊後の社会問題をテーマとする小説を発表している[19]イリーナ・ ツィリックウクライナ語版は、詩人・作家のほかに映画監督としても活動している[20]。音楽活動を行う作家もおり、セルヒー・ジャダンはロックバンドジャダン・イ・ソバキウクライナ語版(ジャダンと犬)、イレーナ・カルパはカルパウクライナ語版というパンクバンドで人気を呼んでいる[21]

1960年代にデビューしたリーナ・コステンコは、幼少期に独ソ戦を経験し、政治的圧力を受けながら創作を続けて1980年代に著名になった経歴があり、ウクライナ文学の生き証人である。歴史物語詩『マルーシャ・チュライウクライナ語版』(1979年)や『十字路のマドンナ』(2012年)など古典的な詩から自由詩までさまざまな形式で表現し、国民的詩人となった[22][23]。19世紀の詩人タラス・シェフチェンコは民族独立の象徴として知られており、生誕200年祭は2014年の尊厳の革命の直後に行われた[注釈 8][25]

小説[編集]

独立後は短編小説が流行し、のちに長編小説が発表されるようになった。オクサーナ・ザブジュコは『置いて行かれた秘密の図書館』(2009年)という832ページの小説を発表し、ウクライナには本当に長い長編がないという批判への反証となった[注釈 9][26]。詩人のリーナ・コステンコは初の小説として、オレンジ革命を経験するプログラマーの物語『ウクライナのいかれた人の日記ウクライナ語版』(2010年)でも注目された[27]アンドレイ・クルコフの『ペンギンの憂鬱ウクライナ語版』(1996年)、『大統領の最後の恋』(2004年)、『ウクライナ日記』(2015年)は、独立後から2010年代のウクライナ社会の変化も描いている[28]

テチャーナ・マリャルチュック
リューブコ・デーレシ

ミロスラフ・ドチネツィウクライナ語版の『時代をみた人』(2011年)はカルパチアの老人の伝記の形式をとりながら過去のウクライナ人の知恵が語られている。長生きの秘訣、食事やレシピ、運動についても触れられており、それまでウクライナになかった種類の作品だった[29]。ウィーン在住のテチャーナ・マリャルチュックは幅広くテーマを扱い、ウクライナの厳しい現実、マジック・リアリズム、思想家のビャチェスラフ・リピンスキウクライナ語版をテーマにした作品などがある[30]リューブコ・デーレシは18歳で最初の作品を出版し、世代間の衝突や孤独感などを描く。ポストモダン風の作風やファンタジー系の作風もあり、同世代に読まれている[31][18]

SF、ファンタジー、ホラーなどの作品は独立後に増えて読まれるようになった[32][33]ウラジーミル・アレーネフウクライナ語版はファンタジーを中心としつつ評論でも活動し、自作のウクライナ語訳も手がける[34]ゲンリ・ライオン・オルジウクライナ語版はドミートリイ・グロモフとオレグ・ラディジェンスキイのコンビのペンネームで、ファンタジー、ホラー、SFなどの要素を組み合わせた作風を持つ[35]マクス・フライウクライナ語版は画家のスヴェトラーナ・マルティンチクのペンネームで、90年代後半のファンタジーブームを牽引し、SFやアンソロジーの編集でも活動している[36]マリーナ&セルゲイ・ディアチェンコウクライナ語版はジャンルにとらわれずに共作している夫妻作家で、少女が奇妙な専門学校で人間ではない存在に変容する過程を、家族関係や恋愛をまじえながら描いた長編『Vita Nostra』(2007年)が広く読まれた[37]アンドレイ・ワレンチノフウクライナ語版は歴史上の人物が登場するファンタジーを執筆しており、架空歴史小説のシリーズを発表している[38]。テチャーナ・マリャルチュックにはマジック・リアリズム的な設定で周囲に馴染めない主人公が登場する作品もある[30]クリミア半島出身のイラストレイターのカテリナ・シュタンコウクライナ語版は『龍たち、行け!』(2014年)という児童文学でクリミアが舞台のファンタジー作品を書いている[注釈 10][32] [40]

イレン・ロズドブディコ

イレン・ロズドブディコウクライナ語版はサスペンス作家で脚本家でもあり、街の一般的なウクライナ女性を描く作品が多い。ラリーサ・デニセンコウクライナ語版は『マスクでの踊り』(2006年)でウクライナ人にとって珍しい韓国のウクライナ人の物語を描いた。リュコー・ダシュワルウクライナ語版は村や小さな町の生活や対立、人間関係をテーマとしている。歌手でもあるイレーナ・カルパは日常会話のウクライナ語で小説、紀行などを発表している[21]

独立後の小説には歴史や社会をテーマにした作品が増え、ソ連時代は検閲されていたテーマも発表されている(後述)[41]

エッセイ、ノンフィクション[編集]

タラス・プロハシコ

疫学者のユーリー・シチェルバクウクライナ語版は、チェルノブイリ原発事故についてのドキュメンタリーとして『チェルノブイリからの証言』(1987年)を発表した[42][43]タラス・プロハシコウクライナ語版の『なぜならその通りであるウクライナ語版』(2010年)は端正なウクライナ語で哲学的な内容を持ち、自由や社会、人間関係について考察されている[44]

ユリア・サヴォースティナ(Юлия Савостина)は、2013年に「国産で1年生きる」というプロジェクトを行い、ウクライナ産の品物のみを扱う店舗やマーケットを企画し、それをもとにした本も発表した[45]ボグダン・ログウィネンコウクライナ語版は旅行ブログの執筆から旅行記を出版し、ウクライナ各地の文化とそれを支える人々を紹介する動画プロジェクトを行っている[20]。オリガ・コトルシ (Ольга Котрус)はパリでの生活をブログに書いて話題になり、キーウに戻ってから『私を食べてしまった街』という本を予約制で自費出版した[46]。ウィーン在住のテチャーナ・マリャルチュックは国外のウクライナ人のアイデンティティについて書いている[45]

ジェンダー[編集]

オクサーナ・ザブジュコ

ウクライナ独立後の初のフェミニストとしては、文芸評論家のソロミヤ・パウリチコウクライナ語版や作家・評論家のオクサーナ・ザブジュコがいる。ザブジュコはウクライナ社会の女性の役割や考え方を『ウクライナ人のセックスのフィールドワークウクライナ語版』(1996年)で論じた[47]。セックスとアイデンティティはそれまで語られていなかったテーマだった[17]。2014年の尊厳の革命は女性の社会進出に影響を与え、女性が活躍する『これは彼女が作った』(2018年)という子供向けの物語が出版されて人気を呼び、続刊も作られた[注釈 11][48]

タマラ・マルツェニュック
イレーナ・カルパ

タマラ・マルツェニュックウクライナ語版は『皆のためのジェンダー。ステレオタイプを変革しよう』(2017年)や『なぜフェミニズムを怖がらなくてもいいのか』(2018年)で注目を集めた[48]。アメリカ在住のオクサーナ・ルツィーシナウクライナ語版は、ウクライナ社会の女性、家族、愛、暴力などをテーマにしている。パリで活動するイレーナ・カルパはパリのウクライナ女性をテーマにした『アラル海からの日記』(2019年)や、『どうして何回も結婚していいのか』(2020年)において伝統的なウクライナの女性像や家族観の変化を書いてヒットした[49]。女性や家族、女性の声を読みやすく伝える作家として、ハリーナ・フドビチェンコウクライナ語版ミラ・イワンツォワウクライナ語版もおり、フドビチェンコは『黒くてより黒い鶏』(2018年)など子供向けの本も発表している[50]。ラリーサ・デニセンコは児童書『マヤと彼女のお母さん達』(2017年)では多様化する家族の形を子ども向けの物語として広めた[51]

新型コロナウイルスの流行によるロックダウンが始まった時期には、ウクライナ初の女性向け出版社としてクリエイティヴ・ウーマン・パブリッシングウクライナ語版が設立された。同社は女性の支援を目標とし、女性の原稿を集めたエッセイ集『Про що вона мовчить』(2021年)を出版した[52]。このエッセイ集には、身体性、セクシュアリティ、母性、病気、死別、家庭内暴力、有害な関係、自分らしくあることなどについての物語や経験が収められた[53]

歴史[編集]

ユーリー・ウィニチューク

独立後のウクライナでは、ソ連時代に禁止されていた歴史テーマも扱われている。たとえば20世紀初頭の独立運動はウクライナ革命とも呼ばれているが、ソ連時代にはブルジョワ民族主義や分離主義として否定されていた[26][54]ワシーリー・シクリャルウクライナ語版はウクライナのベストセラーの父とも呼ばれ、1920年代のソビエト・ウクライナ戦争におけるウクライナ独立軍を描いた『黒いカラスウクライナ語版』(2009年)が最も知られている。ユーリー・ウィニチュークウクライナ語版は小説の他に短編、児童書、歴史書や百科事典にも関わっており、『死のタンゴウクライナ語版』(2012年)では第二次世界大戦下のウクライナ人、ロシア人、ポーランド人、ユダヤ人の友人関係と現在が交錯する。ヴォロディーミル・リースウクライナ語版は、『ヤーコブの100年間ウクライナ語版』(2010年)で5つの政権を経験した人物を主人公にしている。シクリャルとリースの作品はウクライナ文学の授業にも採用された[55]マリヤ・マティオスウクライナ語版はウクライナの複雑な歴史と人間関係を描き、『可愛いダルーシャウクライナ語版』(2004年)ではソ連軍に占領されたウクライナの村が舞台となっている[56]

紛争[編集]

ロシアの攻撃で死亡したヴィクトリア・アメリーナの墓

2014年以降には政変やウクライナ紛争についての作品が増加している。アンドレイ・クルコフの小説『灰色のミツバチウクライナ語版』(2018年)では、紛争の前線近くに住んでいる養蜂家がロシア人、ウクライナ人、クリミア・タタール人と交流するが、どちらの陣営からも警戒されてしまう[57]。イリーナ・ ツィリックは、軍隊に志願する女性たちが増加する傾向に注目して『見えない部隊』(2017年)というドキュメンタリーも作った[58]。侵攻後は以前のような創作活動はできないと語る作家もいる[59]

児童書でも紛争が語られるようになり、『戦争が町にやってくる』(2015年)や『私のおじいちゃんはサクランボの木だった』(2015年)が出版された[60][61]。絵本作家のオリガ・グレベンニクによる『戦争日記』は、子供を連れてハルキウから避難した体験が描かれている[57]。児童文学作家のヴォロディミル・ヴァクレンコは、自閉症の息子のために物語を書いたり、児童施設での読み聞かせなどで子供を支援していたが、ロシア軍に連行されたのちに遺体で発見された[62]。作家・人権活動家のヴィクトリア・アメリーナウクライナ語版は、ウクライナの人権団体トゥルース・ハウンズ(真実の猟犬)と共にロシアの戦争犯罪を取材し、ヴァクレンコがロシア軍に連れ去られる前に隠した日記を発見した[63]。しかしアメリーナは2023年にミサイル攻撃によって死亡し、共に食事をしていたコロンビアの作家らも被害を受けた[注釈 12][65]

『戰争語彙集』を編纂したオスタップ・スリヴィンスキー

マリウポリでは劇場への爆撃によって劇場が廃墟となり、マリウポリの劇団『コンツェプツィヤ』はウクライナ軍を支援するチャリティー公演『笑う心のレントゲン』をキーウで行った[66]。人形劇と舞台芸術の施設であるリヴィウ人形劇場ウクライナ語版は避難所となりつつ新規公演を続けている。大人向けの新作も増やし、ウィニチュークの小説『死のタンゴ』の舞台版を上演した[67]

作家とは異なるウクライナ市民の言葉も出版されている。『ウクライナ戦争日記』は、ハルキウ出身で東京在住の市民によって編集された[68]。詩人・翻訳家のオスタップ・スリヴィンスキーは、日常の言葉の意味が戦争によって変わってしまったことに気づき、避難者の証言を集めて『戰争語彙集』を出版した[注釈 13]。スリヴィンスキーは本書のきっかけとして、リヴィウに避難してきた人々を支援した体験をあげている[注釈 14][71]。『ウクライナから来た少女 ズラータ、16歳の日記』は、日本のアニメ、漫画、小説を愛好する市民がドニプロから日本に渡航した体験が書かれている[72]

言語の多様性[編集]

アンドレイ・クルコフ

ウクライナ語は国家語として規定され、標準語・国語化が進んでいる[注釈 15][74][73]。他方でウクライナ東部や南部にはロシア語話者が多く、ウクライナ出身者のロシア語文学も歴史的に書かれてきた[注釈 16][75]。現代ウクライナのロシア語作家として小説家のアンドレイ・クルコフ、詩人のアレクサンドル・カバノフウクライナ語版、詩人・小説家のアンドレイ・ポリアコフウクライナ語版らがいる。クルコフの作品をはじめとしてウクライナ、ロシア両国で読まれ世界各国でも翻訳されている[77]

アルテム・チャパイ

独立後の特徴として、ウクライナ語とロシア語の混合語であるスルジク作品の増加がある。ミハイロー・ブリニフウクライナ語版はスルジクで文学史をテーマにした作品を執筆しており、架空の博士が世界文学の作品を語るというスタイルを取っている[41]クリミア・タタールの現代文学は、ミコラ・ミロシニチェンコウクライナ語版によってウクライナでの紹介やウクライナ語訳が進んだ[注釈 17][78]

マリアナ・ガポネンコ

複数の言語で執筆する作家もいる。脚本家のレシ・ポデレビャンスキウクライナ語版はウクライナ語、スルジク、ロシア語を使っている[41]。小説家のウラジミール・ラフェエンコウクライナ語版やイレン・ロズドブディコ、劇作家のナタリア・ヴォロジビトウクライナ語版らはロシア語作家として活躍したのちウクライナ語でも執筆するようになった。アルテム・チャパイウクライナ語版は『奇妙な人々』(2019年)でスルジクを中心にしながら登場人物や場面に応じてウクライナ語やロシア語も取り混ぜている[79][80]。スルジクを執筆に使うことについては作家の間でも賛否が分かれつつも、ウクライナの言語の多様性は文芸作品にも反映されている[注釈 18][80]

ウィーン在住のテチャーナ・マリャルチュックはドイツ語でも執筆し、ドイツの文学賞インゲボルグ・バッハマン賞ドイツ語版を受賞した[30]。オデッサ出身のマリアナ・ガポネンコウクライナ語版は15歳でドイツ語を学んでドイツ語で執筆し、ウクライナを舞台にした作品も発表している[81]

文学論[編集]

独立後には文学研究や文芸評論が進んでおり、独立前後の文学の違いや、独立後の文学の発展の理由などについて論じられている[82]。独立後に盛んになった議論として、世代による政治性の違いがある。1960年代のように社会や政治を積極的に改革しようとする姿勢と、1980年代以降の政治風刺や非政治的な姿勢についての議論がきっかけだった。2014年以降のウクライナ政府とロシア政府の対立の影響で、言語と政治的立場を考慮しない発言が難しい状況となっている[83]

出版、図書館、イベント[編集]

2018年のフランクフルト・ブックフェアで展示された”Senses of Ukraine”[84]

ソ連時代は作家協会に入ることで政府から作家として認められて生活が保障されたが、検閲が存在した[85]。現在は作品の出版のみで生活できる作家は限られており、多くの作家は他の仕事を持ちながら活動している。ソ連時代と異なり、資金があれば自費出版が可能となった。また、作家自身が出版社を起業できるようになった[86]

出版社として、ナーシュ・フォルマートウクライナ語版アババガラマガウクライナ語版アストラウクライナ語版、ブック・シェフ、ネーボ・ブックラボウクライナ語版ラーノクウクライナ語版コモラウクライナ語版ピラミダウクライナ語版エレニー・ペスウクライナ語版クリエイティヴ・ウーマン・パブリッシングウクライナ語版などがある[27][87]。ウクライナの出版社は国際的なブックフェアにも参加するようになった[40]。2018年にはフランクフルト・ブックフェアでウクライナ文学のブース”Senses of Ukraine”が展示された[84]。2019年にはロンドン・ブックフェア英語版にウクライナの出版社12社が初参加した[87]

国内のブックフェアで最大級のものは、アーセナル・ブックフェスティバルウクライナ語版が5月に開催される[88][89]。会場のミステツキー・アーセナルウクライナ語版はキーウのペチェールシク区にあり、芸術と博物館の複合施設となっている[90]。リヴィウでは9月にブックフォーラム・リヴィウウクライナ語版が開催されている[88]

ウクライナ文学の普及を目的とする国家機関として、文化省のウクライナ書籍協会ウクライナ語版がある。読書促進、出版や翻訳活動の支援、国内でのイベントや、国外への普及のために国際ブックフェアでのブース運営を行っている[91]

ロシアによるウクライナ侵攻は出版社や書店にも影響を与えている。読者の関心はロシア作家から離れ、公営書店ではロシア語の書籍を回収するキャンペーンを行った。多数のロシア語話者がウクライナから出国したことも影響し、ロシア語の書籍の売れ行きは減少した[92]。ロシア文学の古典への関心も変化し、2022年以降には近代ロシア文学を象徴するプーシキンの像が各地で撤去された。キーウ出身の作家ブルガーコフブルガーコフ記念館ウクライナ語版は、ブルガーコフがウクライナ独立に否定的だったことを理由に存続が議論された[92]

キーウにあるヤロスラフ賢公記念ウクライナ国立図書館ウクライナ語版。ロシアの侵攻時に図書館の被害状況や対応をブログで発信した

2022年のロシア侵攻当初は、ハルキウ国立科学図書館のような大規模図書館をはじめとしてハルキウ、チェルニーヒウルハーンシクなどの図書館が被害を受けた。文化遺産の損失が懸念され、国際的な支援も始まった[注釈 19][93]

図書館は避難民のためのセンターとなり、シェルターとしての場所や必需品を支援し、地下鉄駅に避難する人々に本を提供した[94][95]。子供に対しては、読み聞かせや児童図書館での教育プログラムのほか、国外に避難した子供にウクライナ語の本を届けるプロジェクト “Books Following You” も行われた[94][96][97]

国際児童図書評議会(IBBY)は「チルドレン・イン・クライシス(危機にある子どもたち)」の一環として子供への支援を行っている。Universal Reading Foundationは、ウクライナの出版社の作品をポーランドで印刷し、避難所や避難者に届けた。ミュンヘン国際児童図書館は“We Stand with Ukraine”のキャンペーポスターを作成してデータを販売し、前述のポーランドのプロジェクトに売り上げを寄付した。ウクライナ書籍協会は、ウクライナの児童書をヨーロッパで印刷する資金をクラウドファンディングで募った[98]

主な現代ウクライナ作家[編集]

  • 以下の一覧は、ホメンコ (2018) 、ホメンコ (2019) 、ホメンコ (2021) 、奈倉 (2023) を参照して作成。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ リーナ・コステンコ、リュドミラ・スキルダウクライナ語版らがいる。60年代に活動した作家で、創作を続けながら政治家になった者として、イワン・ドラチウクライナ語版ドミトロー・パフリチコウクライナ語版ヴォロディミル・ヤヴォリーフスキウクライナ語版らがいる[6]
  2. ^ この世代の作家として、レシ・ポデレビャンスキ、カテリーナ・モトリッチウクライナ語版ユーリ・ウィンイチュックウクライナ語版オレグ・リシェガウクライナ語版、ボフダン・ジョルダック、ミコーラ・リャブチュックウクライナ語版らがいる[7]
  3. ^ この世代の作家として、オクサーナ・ザブジュコ、レオニッド・コノノビチウクライナ語版、ユーリ・アンドルホーヴィチ、イワン・マルコビチウクライナ語版ビクトル・ネボラックウクライナ語版ナタルカ・ビロツェルキウェツィウクライナ語版ハリーナ・パフチャックウクライナ語版コスチャンティン・モスカレツウクライナ語版ヴォロディミル・ディブロワウクライナ語版イレン・ロズドブディコウクライナ語版イホーリ・リマルックウクライナ語版フリツコ・チュバイウクライナ語版オレーシ・ウリャネンコウクライナ語版らがいる[7]
  4. ^ この世代の作家として、マリアンナ・サフカウクライナ語版、セルヒー・ジャダン、イワン・アンドルシャックウクライナ語版、ワシーリー・マフノ、ロマン・クハルックウクライナ語版アンドリー・ボドナルウクライナ語版、タラス・プロハシコ、ステパーン・プロチュク、ラリーサ・デニセンコらがいる[7]
  5. ^ この世代の作家として、カテリーナ・バブキナウクライナ語版ドミトロ・ラズトキンウクライナ語版ハリナ・クルックウクライナ語版、スヴィトラーナ・ポヴァリャーイェヴァ、ミハイロー・ブリニフ、リューブコ・デーレシ、アナトリー・ドニストリウィーウクライナ語版、イレナ・カルパ、スウィトラナ・ピルカロウクライナ語版サシコ・ウシカロフウクライナ語版ナタルカ・スニャダンコウクライナ語版らがいる[8]
  6. ^ ウクライナ語の禁止令は1720年、1847年、1863年、1876年、1881年、1882年、1914年、1933年に行われた[10]。ウクライナ語の出版や教育を抑圧したヴァルーエフ指令(1863年)やエムス法ウクライナ語版(1876年)が有名である[11][12]
  7. ^ この時期の作品として、パシュコフスキ『Вовча зоря』(1991年)、アンドルホーヴィチ『Московіада』(1993年)や『Перверзія』(1995年)、ウリャネンコ『Сталінка』(1996年)、ザブジェコ『ウクライナのセックスのフィールドワーク』(1996年)、イゾドリック『Воццек』(1997年)、プロチュク『Шибениця для ніжності』(2001年)などがある[15]
  8. ^ ロシア侵攻後は、シェフチェンコの詩『死者と生者とまだ生まれざる同郷人たちへ』をもとにしたシールが街の一角に貼られることもあった[24]
  9. ^ ザブジェコはベラルーシの作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『チェルノブイリの祈り』をロシア語からウクライナ語に翻訳している[18]
  10. ^ その他のファンタジーやSFの作家として、ユリヤ・ウラジミロヴナ・オスタペンコウクライナ語版ナターリヤ・ソコローワロシア語版アレクサンドル・ゾリチウクライナ語版[39]ユーリイ・ニキーチンウクライナ語版ウラジーミル・ポクロフスキイウクライナ語版らがいる[32]
  11. ^ ジャーナリスト出身のハンナ・ホプコウクライナ語版スヴェトラーナ・ザリシュックウクライナ語版など若い世代の女性議員も増えた[48]
  12. ^ アメリーナは、リヴィウ出身でポーランドのSF作家スタニスワフ・レムが住んでいた家を舞台とした小説『Дім для Дома』も発表している[64]
  13. ^ たとえば「ココア」「シャワー」「ナンバープレート」「沈黙」「林檎」などの言葉がある[69]
  14. ^ スリヴィンスキーは『戰争語彙集』の序文で、ポーランドの詩人チェスワフ・ミウォシュが『世界』という叙事詩で日常の言葉を独自に解釈したことをあげている。ミロシュはナチス占領下のワルシャワで暮らしていた[70]
  15. ^ 2019年の「国家語としてのウクライナ語の機能保障法」によって社会生活におけるウクライナ語の使用が義務づけられた[73]
  16. ^ 著名な作家としてニコライ・ゴーゴリミハイル・ブルガーコフアンナ・アフマートヴァらがいる[75][76]
  17. ^ クリミア・タタールは2014年にロシアによるクリミアの併合が行われた。
  18. ^ 文学に限らず、歌手のヴェールカ・セルヂューチュカの人気にもウクライナの言語文化の特徴が表れている[41]
  19. ^ 公共図書館の状況や取り組みについては、ウクライナ図書館協会ウクライナ語版のFacebookアカウントやヤロスラフ賢公記念ウクライナ国立図書館ウクライナ語版のブログが情報を発信した[93]

出典[編集]

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参考文献[編集]

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    • 藤井悦子『国民詩人タラス・シェフチェンコ』。 
    • オリガ・ホメンコ『現代文学』。 
    • 光吉淑江『ロシア帝国下のウクライナ』。 
    • 光吉淑江『第一次世界大戦とロシア革命』。 
  • 原田義也「現代のマドンナは何を祈るか -リーナ・コステンコの詩的世界-」『明治大学国際日本学研究』第10巻第1号、明治大学国際日本学部、2018年3月、105-138頁、ISSN 188349062024年3月3日閲覧 
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  • オリガ・ホメンコ(Ольга Хоменко)「女性の顔を持つウクライナ : 歴史的な伝統,社会規範,メディアでのイメージと最近のトレンド」『神戸学院経済学論集』第52巻3・4、神戸学院大学経済学会、2021年3月、13-27頁、2024年3月3日閲覧 
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関連文献[編集]

  • 池澤匠「ウクライナにおける言語イメージの変化 : ロシア連邦による軍事侵攻の影響1」『東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室年報』第37巻、東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室、2023年10月、37-60頁、2024年3月3日閲覧 
  • 藤井悦子, オリガ・ホメンコ 訳『現代ウクライナ短編集』群像社〈群像社ライブラリー〉、2005年。 
  • オリガ・ホメンコ『キーウの遠い空 戦争の中のウクライナ人』中央公論新社、2023年。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]