石谷対馬守

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石谷 対馬守(いしがや つしまのかみ、生年不詳-1556年)は、から戦国時代の人物。斎藤道三の家臣。[1]

略歴[編集]

石谷城岐阜県岐阜市)城主であり、元は土岐氏の家臣であり、土岐氏が追放された後は道三の家臣となった。[2]1556年弘治2年)4月、長良川の戦いにおいて道三に従軍するも破れ、斎藤義龍の誘いを断り自害した。美濃石谷氏は滅亡した。[3]

脚注[編集]

  1. ^ 『織田信長家臣人名事典』
  2. ^ 桑田
  3. ^ 『美濃国諸家系譜』

参考文献[編集]

  • 桑田忠親『斉藤道三』新人物往来社、1973年。 
  • 『織田信長家臣人名事典』
  • 『美濃国諸家系譜』

関連項目[編集]