言語戦争

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言語戦争(げんごせんそう)とは、一国内の言語が異なる複数のグループが、言語に関連して政治的・社会的に鋭く対立している状況を指す。

事例[編集]

言語戦争の事例は世界中にある。なお、日本では起こっていない。

カナダ[編集]

カナダは、本来フランス植民地として開拓されたが、英仏七年戦争によってイギリスに譲渡されたという歴史的経緯により、英語話者とフランス語話者の2大グループが存在する。連邦レベルでは両語を公用語と定めているが、レベルの公用語は各州に任されている。特に、フランス系住民の多いケベック州では、フランス語のみを州の公用語としており、長きにわたって分離独立運動が続いている。

ノルウェー[編集]

ノルウェーの公用語はノルウェー語であるが、書き言葉文語)には「ブークモール」と「ニーノシュク(ニューノルスク)」の2つが存在する。前者は範としたデンマーク語に近い表記をとるのに対して、後者はそれとはかなり異なっている。公的には両者の地位は平等であるが、現実にはブークモールが優勢で、外国人が学習するのも通常はブークモールである。

ベルギー[編集]

ベルギーには、北部のフランデレン地域オランダ語フラマン語)を話すフラマン人、南部のワロン地域フランス語(公用語、日常言語としては一方言とされるワロン語)を話すワロン人が在住している。人口はフランデレン人の方が多いが、ベルギーが独立を果たした19世紀にはフランス語が権威ある国際語文明語だと見なされており、指導者層も皆フランス語の話者であった。そのため、フランス語のみが公用語とされてきた。しかし20世紀に入ると、オランダ語(フラマン語)の地位向上が図られ、第二次世界大戦後は両地域を分ける「言語境界線」が公式に設定され、フランデレン地方ではオランダ語が公用語となった。ただし首都ブリュッセルはフランデレン地域にあるものの、オランダ語とフランス語を併用している。またワロン地域の東端(ドイツ国境付近)には、少数のドイツ語話者がおり、そこではドイツ語を公用語としている。

1993年の憲法改正により、ブリュッセル首都圏地域フランデレン地域ワロン地域の3つの地域と、フラマン語共同体フランス語共同体ドイツ語共同体の3つの「言語共同体」の2層、計6つの組織で構成される連邦制に移行した。

ベルギーの神父、グロータース氏によると、首都ブラッセル市民は、(1)中世オランダ語をしゃべる下層大衆、(2)フランス語をオランダ語風に発音する中流階級、(3)純粋なフランス語を話す上流階級、(4)言葉の中にフランス語とオランダ語を一語おきにまぜあわす人々。下級官僚に多く、オランダ語で話しかけても答えない。(5)純粋なオランダ語をしゃべる学生、インテリ、政府の役人たちの五つの社会層に分かれる。[1]

脚注[編集]

  1. ^ 『日本人の意識構造』講談社、1971年5月10日、189,192頁。 

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 福島知枝子「ブリュッセル首都圏選挙区(BHV)をめぐる言語紛争の実相と課題」『言語』第37巻第12号、大修館書店、2008年12月、94-101頁、ISSN 02871696NAID 120004837315 
  • 増田純男 「ベルギーの言語紛争」『言語』1975年11月号、大修館書店。
  • 増田純男編『言語戦争』大修館書店、1978年。ASIN B000J8S21M 
  • ウージェーヌ・フィリップス 著、宇京賴三 訳『アルザスの言語戦争』白水社、1994年。ISBN 978-4-560-00788-4 

外部リンク[編集]