ノート:御宿町

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御宿・アカプルコの交流と森清代議士との関係?[編集]

御宿・アカプルコの交流に関して、2005年9月25日 (日) 17:15 UTC の版以来、「1961年11月、当時の通産政務次官、故森清代議士が政府の経済代表としてメキシコ政府を訪問、歓迎宴の席上、※1609年の史実をした事から友好が始まった」という趣旨の記述がありますが、『御宿町史』の記述と以下の点で矛盾します。

  1. 森清の父・森矗昶日西墨三国交通発祥記念之碑建設の中心人物の一人であり、森清自身も1958年の改修に関係しているのに、1961年まで記念碑の由来を知らなかったとは考えにくい。
  2. 御宿町とアカプルコとの交流が始まるのは、森清没後の1975年に、当時の御宿町長岩井敏夫がアカプルコ市長宛てにメッセージを送ってからである。

ひとまず疑問点として挙げておきます。--Sorafumi会話2016年7月18日 (月) 03:02 (UTC)[返信]

『御宿町広報』第9号(1959年2月)に日西墨三国交通発祥記念之碑改修の特集記事があり、竣工式における森清の祝辞が掲載されているのを確認しましたが、明らかに森清は記念碑の由来をよく知っており、1961年になって事実を知ったということはありえません。何らかの誤解と思われるので、編集除去しました。--Sorafumi会話2016年9月22日 (木) 02:41 (UTC)[返信]