Wikipedia:査読依頼/涼宮ハルヒの憂鬱 20070722

涼宮ハルヒの憂鬱涼宮ハルヒの憂鬱 (アニメ)(改名) - ノート[編集]

過去に一度秀逸な記事の選考に出されましたが、賛成0、反対4であえなく却下。その後全体の加筆修正・独自研究の駆逐を行いました。アニメの記事として最初の秀逸な記事をめざしていますので、よろしくお願いします。FOMALHAUT 2007年7月21日 (土) 15:01 (UTC)[返信]

ちなみに、こちらが、秀逸な記事の銓衡の、顚末です。Wikipedia:秀逸な記事の選考/涼宮ハルヒの憂鬱--じゆにち (Mobnbka) 2007年7月24日 (火) 12:53 (UTC)[返信]

【査読】 ──専門家の方による審査結果。
【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価頂いた結果。
【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
【感想】 ──専門外の方による感想。
「ストーリー・各話構成」が気になったので、意見を述べさせて頂きます。作品の肝となっている時系列の扱いと構成との関係について記述が不足しています。現状では、本放映が時系列順になっていないことと一話があれで驚いたしか情報がなく、それがどういう効果をもたらしているのかが分かりません。これに必要な範囲で、各話毎のストーリーに触れる必要もあります。構成と密接に絡んでいるので、原作の項目に飛ばしてそれで終わりというわけにはいかないはずです。また、アニメ作品としての批評・評価の具体的な記述が必要ではないかと思います。 --Yhiroyuki 2007年7月21日 (土) 17:26 (UTC)[返信]
秀逸な記事を目指すということであれば、アニメ史における位置付けがまず必要でしょう。アニメは百科事典にあまり掲載されておりませんので小説で代用しますと、文学史のなかでどのように位置付けられているのか、先行する作家や作品群からの影響、これに続く作品に与えた影響について、市販の百科事典では必ず解説されております。ストーリやアニメの作画についてどのような類型が一般に定義されているのかよく分かりませんが、音楽や美術であればそのような観点も必ず入ります。以上が冒頭部分に必要です。次にこの作品が生まれた背景、なぜこのような作品が生まれたのかについて触れてください。例えば社会情勢や作家本人の置かれた状況が作品にどのような影響を与えたのかが書けるはずです(現代の日本でなければこのような作品は生まれなかったはずです)。小説、音楽、美術について触れた記事では以上のような視点が入っております。スタッフ、リリース、イベントの節はあまり必要には思えません。内容の理解に役立ちませんから。219.97.90.35 2007年7月21日 (土) 17:27 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。各話あらすじ、批評・評価についてはノートで検討します。文学作品唯一の秀逸な記事である神曲を参考に、成立・影響にも言及してみます。ただし第二期の制作が決定していますし(つまりまだ完結していない)、去年放送されたアニメですから、ハルヒが「受けた影響」はともかく「他に与えた影響」の記述は難しいかと思われます。ソースを見つけるのも一苦労ではないかと。--FOMALHAUT 2007年7月22日 (日) 14:06 (UTC)[返信]
「影響」に関して、現代用語の基礎知識知恵蔵イミダスあたりにそうした記載はありませんでしたか?--ZERO 2007年7月22日 (日) 23:12 (UTC)[返信]
図書館で確認しましたところ、ありませんでした。大ヒットを記録、程度の記述にとどまっています。リリースのCDの部分を縮小しました。DVDについては縮小してどう記述するか迷ったため、現在手つかずです。セカイ系の作品ですからエヴァに影響を受けていると考えられますが(例えば長門と綾波)、そうした記述はネット上では個人のブログくらいにしかありません。時間が必要です。また各話ストーリーですが、ノートではアニメ独自の部分に絞るべきと意見が出ています(英語版には表を用いた一覧記事がある)--FOMALHAUT 2007年7月25日 (水) 14:55 (UTC)[返信]

執筆者の方々の作品に対する思い入れは窺えるのですが、重箱の隅をつつくような情報と関連商品、派生企画のデータベースばかりで、TVアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」が大局的に見てどのような作品であったのか一向に見えてきません。確かに特徴的なシリーズ構成は衆目を集めましたが、DVDでは収録順が時系列順に変更されている様に放送順序の入れ替えはこの作品の本質ではないはずです。また「朝比奈ミクルの冒険」における演出を始め、製作スタッフが細部にまでこだわった事は分かりましたが、では細部ではない大きな流れはどうなのかという点がさっぱりです。ストーリーにみられるセカイ系の特色や、キャラクター類型の確信犯的な利用、主人公たちの成長など、触れるべき要素はいくらでもあるはずです。あるいは「朝比奈ミクルの冒険」についても自主製作映画らしさを強調する個々の演出については触れられていても、宇宙人、未来人、超能力者の三人が素性を隠したまま、それぞれ宇宙人、未来人、超能力者を演じる、入れ子構造の劇中劇であることについて説明されていません。結局の所、現状の問題点は作品の細部は指摘できても、広い文脈の中に作品を位置づけて論じる事ができていない点に尽きると思います。もし本当に秀逸な記事を目指すのであれば、ひたすらディテールを追求するのではなく、作品を愛する心をひとまず棚上げにして文学、文化論やメディア評論などからのアプローチを試みるべきかと思います。もっと幅広い視野を持って客観的に作品を論じなければアニメに興味の無い人からも秀逸な記事と認められることは難しいのではないでしょうか。 --コータ 2007年7月24日 (火) 16:42 (UTC)[返信]

ありがとうございます。指摘を受けた部分について触れてみます…が、どんな節に分けるのが一番いいんでしょうね?--FOMALHAUT 2007年7月25日 (水) 14:55 (UTC)[返信]
まず概要と粗筋を文学作品や映画などの記事を参考にして書き直して見ると良いと思います。その上で、概要と粗筋の延長線上にない要素、あるいは特に概要で触れているが特に詳細な説明が必要と思われる事柄について、独立した節を設けるのが良いと思います。それとZEROさんへの返答の中で、「セカイ系の作品ですからエヴァに影響を受けていると考えられます」とおっしゃっていますが、それは短絡しすぎです。エヴァンゲリオンの影響の有無については特にコメントはしませんが、影響があったとしてもそれはセカイ系だからという訳ではありません。記号的なキャラクターについては東浩紀氏が各所で論じていますので、とりあえず講談社現代新書の二冊『動物化するポストモダン』と『ゲーム的リアリズムの誕生』だけでも一読されるのが良いと思います。眉唾な部分もかなり有りますが、考え方そのものについては得るものががあると思います。--コータ 2007年8月3日 (金) 15:02 (UTC)[返信]
【その他】 ──表記・文体など

ZEROと申します。まずは情報源・出典について気付いたところを書かせていただきます。

  1. 情報源の選定について。「原作者が明かすあの構成の理由」が情報源としてあげられていますが、このブログ記事は雑誌「ザ・スニーカー8月号」の記事を紹介しているだけなので、直接の情報源とはなりえないはずです。雑誌「ザ・スニーカー8月号」そのものを情報源として挙げてください。また、このブログそのものは文責不明の個人サイトなので、「Wikipedia:外部リンクの選び方」を見る限り、外部リンクとして挙げることも危ないように思います。この点は改善されました。
  2. 出典の書式について。情報源の多くがインターネット上の記事のようですが、タイトルとリンクだけしか挙げられていないものが多いですね。Wikipedia:出典を明記する#ウェブサイトの例にしたがって、それぞれの著者や閲覧月日を記入してください(Wikipedia‐ノート:出典を明記するもちょっと参考にしてみて下さい)。雑誌記事についても、それぞれWikipedia:出典を明記するの各例にしたがって書式を統一してください。
  3. 出典を明記しなければならない部分がまだ少々あるようです。「既読者の予想を完全に裏切る形になった」「視聴者から完全版を希望する声が続出この点は改善されました。」などの記述についても、この記述を残したいのであれば出典を明記してください。

とりあえず以上です。--ZERO 2007年7月22日 (日) 23:12 (UTC)[返信]

ご指摘の通り直しました。できたらチェックして下さい。リンク切れのページはどうすべきでしょうか?--FOMALHAUT 2007年7月25日 (水) 14:55 (UTC)[返信]

チェックしました。1については改善を確認しました。2.については、リンク切れのページを出典としているのであれば、まずは同様の情報が何かに掲載されていないか探してください。どうしてもリンク切れのページだけしかその情報が載っていなかった場合は、出典情報に追加して「何月何日まではそのページがあったのか」、「何月何日に消滅したのを確認したか」を脚注に記入しておいて、のちのち同様の情報が書かれているものを見つけることを待つしかない、と個人的には思います。ただ、人によってはリンクが切れた時点で「検証可能性を充たさないから該当する記述を削除しろ」、といわれる人もいるかもしれません。 3.については、秀逸な記事を目指しているのであればまだまだやるべき箇所が残っています。以下の点なども脚注を加えてください。

  • 「原作未読者を完全に突き放し、既読者の予想完全に裏切る形になった。」
  • 「スタッフのこだわりなどが評価を得た。」
  • 「これを全面に押し出してアニメで再現したそのこだわりが評判になった」
  • 「ドラムの音と映像をシンクロさせた点が評価された。」
  • 「視聴できる範囲は広い方であった。」
  • 「京都アニメーションの演出の妙の一つに挙げられている。」
  • 「通常アニメの作画は最終話が近づくにつれて質が低下することが多い。」
  • 「芸の細かさが評価された
  • 「原作を忠実に表現した」

→これらの特に濃字の部分はいずれも主観的な表現です。たとえば「原作を忠実に表現し」ているかどうかは人によって感じ方が異なるはずです。もし知識人や専門家・雑誌ライターがそのように指摘しているのであれば、誰がそういったのか、脚注で出典を明記してください。もし情報源がなければ、修正するなり本文を削るなりしてください。書いた人に情報源を聞いてみるのも良いかもしれません。

あと、

  • 「「違う!」とつっこみ」「レイヤー」「サイトの表示がバグったり」

→表現が百科事典的ではないことが気になりました。レイヤーはコスプレイヤーのことでしょうか。なるべくまじめな表現に修正するようつとめてください。--ZERO 2007年7月29日 (日) 03:05 (UTC)[返信]

(コメント)中身を知らないので、コメントだけ。上記の方が言われること通り、いずれ秀逸の記事を目指すのであるならば、検証可能性を満たす必要があります。今回の記事は、多分にアニメ関係の書籍(多分、世に仰山あるのでしょう)の書評などから情報を補強していく必要があるでしょう。また、本文中にある台詞は引用レベルの度合だと思いますが、どこから引用したか位は書いてください。ファンは知っていても何も知らない人には分からないと思います。(例えば、昔の世代の人はガンダムのアムロ・レイの台詞を知っていても、ガンダム世代でなければ某芸人の物まねかアニメ特集でも見ない限り知らんでしょう)。最近で検証可能性を満たして、秀逸な記事に選ばれているナリタブライアンGARNET CROWが参考になるかと思います。--Wushi 2007年7月29日 (日) 14:35 (UTC)[返信]
ファンの目を離れて見てみたのだが、百歩譲って「忠実に」や「評価された」という主観的表記は認めるとして(まあ出典を出すまでもなく事実だろうし、ひとまずそこは目を瞑って)、いったい何がどう忠実だったのか、どういう点で評価されたのかが分からない。具体的に記述すればもっと分かりやすくなるはず。--121.82.208.241 2007年9月23日 (日) 10:18 (UTC)[返信]

文体・表現についても気になった点を指摘させて貰います。まず、全体的に真っ向から褒めすぎです。より抑制された表現に改めるべきです。高い評価を得たことをどうしても書きたいのならどのような層に支持されたのかを明らかにするべきです。社会全体を考えた場合、深夜アニメを見るのはそれほど大きな集団ではありません。「アニメファンから高い評価を受け」ぐらいの表現の方が説得力があるかと思います。以下、その他に気がついた事を箇条書きにさせて頂きます。

  • 「放送後280万部も増刷(2007年4月現在)された」
→「も」は要りません。価値判断を伴う表現は避けるべきです。「280万部増刷」と書けば十分です。また「アニメ化を期に280万部増刷」のような書き方なら、「2007年4月現在」という「すぐ古くなる表現」も不要になります。
  • 「漫画化などのメディアミックスも特徴である」
涼宮ハルヒシリーズによれば、アニメ化よりも漫画化が先だったはずです。メディアミックスは原作あるいはシリーズ全体の要件であり、アニメ化の特徴とされるべきではありません。もっと言うなら、メディアミックス自体が他の作品でも頻繁に行われており、特定の作品の特徴とは言えません(角川系のお家芸とは思いますが)。メディアミックスの一環として、アニメ化された、くらいの感じでしょうか。
  • 原作の書名表記について
→二巻以降が、『退屈』『暴走』『動揺』といった表記になっていますが、初出時は正式に表記するべきです。『涼宮ハルヒの退屈』(以下「退屈」と省略)、といった感じです。
  • 「独立UHF局の深夜枠で放送されたが、政令市クラスの地方局でも放送され、視聴できる範囲は広い方であった」
→ZEROさんが指摘されている部分ですが、それとは別に「政令市クラスの地方局」という表現が分かりません。「地方局」というのは基本は県単位なのではありませんか。テレビ横浜ではなくテレビ神奈川、前橋テレビではなく群馬テレビですよね。ここは「独立UHF局の深夜枠で放送された」で良いのではないでしょうか。

……あとは、ファン心理を抑えましょうというか、ファン以外の人のことを考えて中立的に見た場合、本当に載せる必要がある情報だけなのか、よく検討してみて下さい。フィクションに過剰なリアリティを要求するのが最近の傾向ですが、「スタッフのこだわり」とされる諸々の事柄は「こんなに細かい、だから凄い」以上の情報を読み取れず、正直さほど重要とも有意義とも思えません。とはいえ、アニメ作品としての特徴を原作との比較において論じることが可能なのであれば意味のある情報になりうると思います。例えば地理的匿名性の強かった原作に比べ、現実に存在する地域との関連が明確となっていることをアニメファンの習性やアニメ業界の動向に関連させるとか、あるいは作品としてどう変わったのかとか。涼宮ハルヒについてではありませんが、そういったフィクションにおけるリアリティについて、大塚英志氏や上で挙げた東浩紀氏が書いていたと思いますので探してみると良いかと思います。--コータ 2007年8月3日 (金) 16:29 (UTC)[返信]