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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ヴィクトル・ブローネル 20191011

ヴィクトル・ブローネル - ノート[編集]

選考終了日時:2019年11月24日 (日) 16:10 (UTC)2019年12月8日 (日) 16:10 (UTC)

  • (自動推薦)2019年10月度の月間新記事賞受賞記事。--totti会話2019年11月10日 (日) 16:10 (UTC)[返信]
  • コメント 迷うラインですが、シュルレアリスム前後の説明は予備知識が乏しい自分には少々理解が困難であり、説明がもう少し欲しいなと思います。
    • §シュルレアリスム:「パリでは前年にシュルレアリスム宣言が発表され、また、アナトール・フランスが死去すると、この権威的な存在を葬り去り、乗り越えようとするシュルレアリスムの最初の象徴的な事件である小冊子『死骸』が刊行されたばかりであった。」について、恐らく翻訳文であると思うのですが、文意がとりづらく、またシュルレアリスムがどのようなものであるのかというのはそこまで一般的な知識ではないと思うので、簡略な説明が欲しいです。また、シュルレアリスムにブローネルが参加していたことはわかるのですが、ブローネルがシュルレアリスムの中でどのような存在であったのかが読み取れないのが気になります。§題材・画風でも冒頭から「シュルレアリスム運動から離れた後は」と始まっていて、シュルレアリスムという独立した節を設けて解説をしている割には、画風や画材といった画家の記事において重要度が高い点についてシュルレアリスムとブローデルの関係がほとんど触れられないのは奇異に感じます。
    • §節構成:§背景・§シュルレアリスム・§フランス亡命の3つは、実質的には独立した伝記を形成しており内容的には1つの節にまとめて小節で分けるべきであると思います。
    • §題材・画風:§シュルレアリスムでの話とかぶりますが、芸術家系統の記事では極めて重要度の高い項目なので、もう少し情報が欲しいと思います。少なくとも伝記部分から想像するにシュルレアリスムとの関係性の説明は不可欠であるように思われ、また画壇からの評価や現代の評価なども網羅すべき話題であると思います。ただ、日本語の資料があまり期待できない可能性が高そうに思われるので、これについては最終的にはやむをえないかもしれません。--TEN会話2019年11月14日 (木) 16:36 (UTC)[返信]
  • コメント (主編集者です。)ご意見・ご指摘、ありがとうございます。ご指摘の趣旨がよくわからないところもあるのですが、少し説明させてください。
    • 「シュルレアリスムの最初の象徴的な事件である小冊子『死骸』」については、私自身が主編集者である他のシュルレアリストの記事(ポール・エリュアールルイ・アラゴン)でも触れており、たとえば、エリュアールでは「アナトール・フランスが死去したときに共同で執筆した小冊子『死骸』は、この権威的な存在を葬り去り、乗り越えようとする最初の象徴的な行為であり、一大スキャンダルを巻き起こした[19]。エリュアールはこの小冊子に「ありきたりの老人」と題する文章を掲載した。このほか、ブルトンの「埋葬拒否」、アラゴンの「すでに死者を殴り倒したか」、スーポーの「間違い」、(後に対独協力に転向することになる)ピエール・ドリュ・ラ・ロシェルの「われわれは騙されない」などが掲載された[20]」と2つの出典を付けて説明しています。この部分をブローネルの記事でも同じように加筆すべきなのかもしれませんが、1) この出来事は(少なくともフランスの)シュルレアリスムにおいてシュルレアリスム宣言と同じくらい重要な出来事です(残念ながら、シュルレアリスムの記事では触れられていませんが、これは別問題です)。また、2) ブローネルはこの(文学者による)「象徴的な行為」に参加していません。私がご指摘の部分を書いた意図は、まさにシュルレアリスムの運動が始まったときに、ブローネルがパリにいたことを示すためであり、「権威的な存在を葬り去り、乗り越えようとする」という表現自体である程度シュルレアリスムの本質を表現している上に、通常、シュルレアリスムと言えばすぐに想起される事件を、本人が関わっていないにもかかわらず詳しく説明する必要があるかどうか、また、ブローネルの記事でシュルレアリスムに関する「一般的な知識」まで記述する必要があるかどうか・・・個人的には不必要と判断しました。
    • これは、「ブローネルがシュルレアリスムの中でどのような存在であったのか」という問題とも関わっていますが、ブローネルはしばらくパリに滞在した後、ルーマニアに帰国し、数年後にあらためてフランス亡命を決意しています。このようにパリとブカレストを行き来し、さらに共産党に入党し(特にアラゴンの記事で説明していますが、シュルレアリスムと共産主義の関係も複雑です)、ユダヤ人でもある(特に第二次大戦下の状況において)ブローネルを、シュルレアリスムという芸術活動の枠組みの中だけで説明することはできません。共産主義も反ユダヤ主義もすべて彼の芸術に関わっているからです。一方で、1人の芸術家が「シュルレアリスムの中でどのような存在であったのか」と問うことの意味が私にはよく理解できません。たとえばシュルレアリスムの「運動」を牽引したアンドレ・ブルトンなどについてはその役割を説明できると思いますが、シュルレアリスムは運動というより文字通り現実を越えようとする思想であり、それ自体が画風・題材になります。ではブローネルの「題材・画風」をどう説明するかというと、シュルレアリスムです・・・(トートロジーで申し訳ありませんが、要はシュルレアリスムに関する理解の問題になると思います。たとえば日本のシュルレアリスムについて一般にどの程度の理解があり、西脇順三郎のシュルレアリスムについて書くときにどの程度書くかといった問題になります)。「シュルレアリスム運動から離れた」というのは、「運動」、特にブルトンを中心とする運動から離れたということであり、「エロティシズム、(ブルトンの)客観的偶然、夢や無意識の表象、神秘学(オカルティズム)、秘教・密教、人格の分離、精神分析、プリミティヴィズム、伝説上の人物、古代文明の紋章のようなモチーフ(特に古代エジプトや先コロンブス期、あるいはアメリカ先住民の芸術)[27]、ヒエラティックな(宗教・神事に関する)題材」として挙げた事項は、その多くが他のシュルレアリストにも(文学、芸術ともに)共通する題材であり、したがって、「超現実」の思想としては一貫しています。これらの題材について詳述する必要があるということでしょうか(もちろん詳しい方が良いと思いますが)。
    • 「画壇からの評価」については、ブルトンに評価されたことを強調し、アンデパンダン展やシュルレアリスム展への出展、個展について触れた程度、「現代の評価」については日本のシュルレアリスム展などシュルレアリスム全般として触れた程度であり、これまでに得た情報からは大規模な回顧展などもありませんが、評価を重視するかどうかは別問題と思います(あるいは、特別な評価を受けているわけではない画家?)。なお、§作品に示すとおり、ほとんどの作品がフランス、特にポンピドゥー・センター(国立近代美術館)にあり、代表作は常時展示されています。これ以上に「評価」について特筆すべきことがあるようには思われないのですが・・・(もちろん、以上の説明は良質な記事かどうかということとは別です)。--Hparis11ed会話2019年11月15日 (金) 00:00 (UTC)[返信]
    •  追記 わかりにくさは、構成にも原因があると思いますので、見出しを「生涯」と「作品」にし、シュルレアリスム運動との関わりも題材・画風も「生涯」に取り込みました。これは、ご指摘との関連で§シュルレアリスムや§フランス亡命という見出しは(当初は、ブローネルの生涯の大きな区切りとして設けたものですが)適切ではないと判断したからであり、また、(上述にように)彼の芸術と生涯が分かち難いものであるためです。「シュルレアリスム運動」との関わりは、§パリ - シュルレアリスムにある、1931年のブルトンとの出会い(シュルレアリスム参加)から§蝋画、独自の作品世界にある、1948年のブルトンによるロベルト・マッタ除名までであり(この間、第二次大戦中はほとんどのシュルレアリストが米国に亡命し、ニューヨークを拠点としていたため、フランスに残ったブローネルは関わっていません)、この間の活動は他のシュルレアリストらとの関係やシュルレアリスム展への参加、ブルトンによるブローネルの代表作『K氏の奇妙な事例』の絶賛(とその理由、ジャリの作品との関係、およびその他のシュルレアリスムの代表作)など、随所に書かれています。ブローネル事件が起こった場自体が、シュルレアリストを中心とする集まりであり、こうした一つ一つがシュルレアリスム関連の出来事であること(名前が挙がっている芸術家がほとんどシュルレアリストであること)を示すための背景知識まで提供する必要はないと判断します。題材・画風も§蝋画、独自の作品世界を当初から伝記の一部に入れていたため(これは彼の蝋画が生まれた背景が重要であるためです)、これとは別に設けた「題材・画風」の記述が不十分になっていました。また、「評価」についてもブルトンの評価から、最後の2020年開催予定の回顧展まで随所で触れています。--Hparis11ed会話2019年11月15日 (金) 14:08 (UTC)[返信]
      • 賛成 解説ありがとうございます。私はシュルレアリスムについては言葉以外ほぼ何も知らないに等しいので意見が適切ではない可能性は高いかと思います。
      • §シュルレアリスムについて:当時シュルレアリスムが始まったばかりの頃であった、あるいは盛り上がりはじめた頃であり、それを象徴する最初の事件が『死骸』の発表であった、ということだと理解しました。私が§シュルレアリスムについて述べた件については、
        • 1. 「翌25年に渡仏し、パリに数か月滞在した。」(ブローネルの行動、フランス行き)
        • 2. 「パリでは前年にシュルレアリスム宣言が発表され、また~」
        • 3. 「ブカレストに戻ったブローネルは、(ドイツ)表現主義、ロシア構成主義、ダダイスムなどの前衛芸術運動に参加~」(ブローネルの行動、ブカレスト戻り)
      • という流れから、2もブローネルの行動に関連することを説明している⇒ブローネルはこれらの出来事に何等かの関連性を持っている、と読解したものでした。「同年(1930年)に再び渡仏し、パリで同郷人の~」という話と繋がるのだとは思いますが、個人的には1.「フランス行き」⇒2.「当時のフランスの状況」⇒3.「ブカレスト戻り」と説明が続くのであれば2と3の間には、「まさにシュルレアリスムの運動が始まったときに、ブローネルがパリにいた」⇒「故にブローネルはその影響を受けた」あるいは「それに影響を与えた」という、「フランスの状況(シュルレアリスムの動向)」を説明したことに意味を持たせる説明があるべきではないかと考えます。
      • §「ブローネルがシュルレアリスムの中でどのような存在であったのか」について:上述の「2」件とも関連しますがシュルレアリスム初期の出来事とブローネルが関連性を持つと読解していたので、であればシュルレアリスムについて自体も一般的な解説が必要であると考えた次第です。このあたりはどういう記述を行うのが適切であるのかを考える能力を私は持ち合わせていないので、Hparis1ledさんの見解の方が適切である可能性が高いかと思います。
      • 題材等についてシュルレアリスムの理解の問題になる、というお話は多分その通りで、事前知識がほぼ皆無の状態で読んだ場合にはやはりシュルレアリスム自体の説明なしには記事の説明が頭に入りづらいと思います。ただ、これについてはシュルレアリスムの記事を見るべきなのかもしれません。
      • §構成について:構成の変更ありがとうございます。評価については一般論的に芸術家系の記事ではある程度の記述がほしいと個人的には思っていますが、特筆すべきことがこれ以上無いということであればそれで問題がないと思います。--TEN会話2019年11月16日 (土) 13:11 (UTC)[返信]
        • コメント 具体的なご説明ありがとうございます。背景知識がなくても分かるような記事を書くことは非常に重要ですので、参考になります。
        • 「ブカレスト→パリ(シュルレアリスム運動の始まり)→ブカレスト」の流れについては、「影響」について書くのは難しく、やはり背景知識の話になってしまい申し訳ないのですが、この時期は欧州で前衛芸術運動が次々と起こっていて、ブローネルの場合は主にダダイスム→シュルレアリスムの流れに位置づけることができます(パリではこのときすでにダダイスムは衰退、むしろ終焉)。つまり、すでにブカレストでダダイスムの(ささやかな)運動を起こしていた彼は、パリ・ダダ、パリのシュルレアリスムを見に行ったのではないかと思うのですが、このときの渡仏の理由を説明する文献は手に入れていません。また、パリ滞在は数か月だけで、この間にダダイストやシュルレアリストに出会ったというような資料も手に入れていません(詳細な伝記を読まないといけないのですが・・・)。したがって、少なくともダダイスム→シュルレアリスムの流れを明確にするために、「翌25年に渡仏し、パリに数か月滞在した・・・(前年、シュルレアリスム宣言、小冊子『死骸』・・・)。この運動の現場を目撃したブローネルは、ブカレストに戻ると、(ドイツ)表現主義、ロシア構成主義、ダダイスムなどの前衛芸術運動に参加し、これらの運動の機関誌であり、次いでシュルレアリスム運動の機関誌ともなった『ウヌ (Unu)』(1928年創刊)に寄稿した」とボールドの部分でつなげました。
        • 題材の問題は、特に芸術家の場合は、作品の写真を掲載できないことが大きな制約になります。作品について詳しい一覧を作成したのは、作品名と材料(キツネの剥製を使っているなど)から多少なりとも想像できないだろうかと思ったのですが、苦しいところです。--Hparis11ed会話2019年11月16日 (土) 16:44 (UTC)[返信]
  • コメント 著作権の問題があるのでしょうが、やはり作品の写真がないのは痛いですね。芸術家の記事だと、編年で生涯を解説する節の他に作風の概説をする節があることが多いですけど、そういうのは無理でしょうか。また、「1930年にマルギット・コスと結婚」とあり、その後「パリでジャクリーヌ・アブラアムに出会った(1946年に結婚)」とあるので、マルギット・コスとは死別か離別したのでしょうけれど、そういうあたりが何も説明されていないのはやや不親切かなと感じました。--Tam0031会話2019年11月19日 (火) 15:22 (UTC)[返信]
    • コメント ご意見・ご指摘ありがとうございます。すみません、マルギット・コスとの離婚については確認していませんでした(とりあえず見つかった情報を加えました)。「画風・題材」については、再び見出しを設けて構成し直してみました。蝋画についてもこちらに移動しました。また、TENさんのご指摘について再検討し、ダダからシュルレアリスムへの方向性、ブルトンを中心とする「運動」とは別にブローネルが一貫して「シュルレアリスト」であったことがわかるような記述にしました。--Hparis11ed会話2019年11月19日 (火) 20:45 (UTC)[返信]
  • コメント 選考終了時点で賛成2票のため、選考期間が2週間自動延長となります。--Mogbot会話2019年11月25日 (月) 10:16 (UTC)[返信]
  • コメント 締め切り間近で申し訳ありませんが、現時点では反対寄りのコメントです。Hparis11edさんの編集記事は月間賞で何度か拝読しており、無駄のない文脈の組み立て方がお上手だなといつも感心しておりました。今回のヴィクトル・ブローネルの記事でも、彼の作風を生み出した背景がよく分かる解説になっていると思います。ですが、ブローネルの記事で気になるのは出典と中立性ですね。「#個展、国際的な活動」の節がほぼ出典なし。かつ、「#主な作品」の表も出典がありません。特に後者は痛い。所蔵の多いポンピドゥー・センターのみ画家解説ページをチェックしましたが、主な作品の表に載っていない作品が多数所蔵登録されています。多作の画家なので、全作品をウィキペディアに列挙するには厳しいでしょうから、主な作品に絞り込む方針には賛成です。ですが、誰が「主な」作品として表に載せる/載せない仕分けをしたのか、根拠がありません。これは作品の評価に直結する話ですから、検証可能性や中立性の観点で極めて重要です。さらに作品名が全て日本語のみで原題が書かれていないため、ポンピドゥーが現在所蔵しているのか検証しようにも、題名で照会できない状況にあります (残念ながらポンピドゥーのサイトはフランス語と英語しか所蔵一覧データが開示されていません)。手前みそで恐縮ですが、「著作権法の判例一覧 (アメリカ合衆国)#フェアユース関連」では、何万とある判例の中から誰が特筆性があると言っているから一覧表に載せているのかが分かるよう、「特筆性」の列を設けていますし、判例の名称も日英両表記にしています。表作成の参考になれば幸いです。もし出典補強に時間を要するようであれば、選考期間の延長もご検討下さい。--ProfessorPine会話2019年12月3日 (火) 02:09 (UTC)[返信]
ご意見、ご指摘ありがとうございます。
  • #個展、国際的な活動」につきましては、(既存のものも含めて)出典を追加しました。
  • #主な作品」につきましては、一覧の次に「作品を所蔵する主な美術館・所蔵作品」の一覧を挙げていましたので、これが出典になります。また、一覧の下にアスタリスクの凡例として、「2011年2月9日から5月15日まで国立新美術館で開催された「シュルレアリスム展 ― パリ、ポンピドゥー・センター所蔵作品による」の展示作品(作品名は「出品リスト」による)」と書いており(厳密にはポンピドゥー・センターではなく国立近代美術館)、「シュルレアリスム展 ― パリ、ポンピドゥー・センター所蔵作品による」につきましては、「#日本での展示等」に書きました「2011年2月9日から5月15日まで国立新美術館で開催された「シュルレアリスム展 ― パリ、ポンピドゥー・センター所蔵作品による」では、代表作を含むブローネルの作品約20点が展示された」について出典(「平成22年度 国立新美術館 活動報告」)を付けています。このため、敢えて一覧に同じ出典を付していませんでしたが、今回、あらためて、凡例と一覧表内に「平成22年度 国立新美術館 活動報告」を含む出典を追加しました。なお、申し訳ありませんが、表中の「パリ市立近代美術館」、「ストラスブール近現代美術館」、「サン=テティエンヌ・メトロポール近現代美術館」および「メニル・コレクション」所蔵作品もまた「シュルレアリスム展 ― パリ、ポンピドゥー・センター所蔵作品による」に出品されたものでありながら、作品にアスタリスクを付け忘れていましたので追加しました。「ペギー・グッゲンハイム・コレクション」所蔵作品(1点)につきましては、これも既存の出典によるものですので、これに追加しました。「ニューヨーク近代美術館」所蔵作品(1点)については新たに出典を追加しました。国立近代美術館(ポンピドゥー・センター)所蔵作品で、日本で開催された「シュルレアリスム展」に出品されていないものは、この記事の執筆にあたって参考にした文献でしばしば言及されているものを挙げました。一方、日本で開催された「シュルレアリスム展」につきましては、出典に「シュルレアリスムのまとまった形での総合的な紹介の機会はこれまであまり多くなかったため」とあります(記事では引用していませんが)。ブローネルは、1) 生涯にわたって一貫してシュルレアリスムを追求した作家であり(ピカソのように画風が大きく変わっている場合は、一つの運動や流派に関する資料では不十分であるという意味において)、2) 作品のほとんどがポンピドゥーをはじめとするフランスの国公立美術館にあり、3) そのうち20点も出品されたこの展覧会のカタログは出典として重要であり、しかも私が調べた限りにおいて、そのほとんどが重要な作品です。
  • 以上との関連で(多少重複しますがお許しください)、「誰が「主な」作品として表に載せる/載せない仕分けをしたのか」の根拠につきましては、「1985年、妻ジャクリーヌにより絵画、素描、陶磁器、彫刻など作品のほとんどが国(フランス)に寄贈された。これらは現在、主にパリ市立近代美術館とポンピドゥー・センター内国立近代美術館が所蔵している」と書いており、フランスがほとんどの作品を所有し、そのほとんどがこの2つの美術館にあり、「主な」作品一覧もこうした記述に従ったものとなっています(したがって、特に「多作の画家」なわけではなく、作品の大半がポンピドゥーにあるということです)。ポンピドゥー・センター所蔵作品につきましては、そのすべての作品について個人的に一覧を作成し、解説がある場合はすべて読みましたが、以上の理由により(関連資料でしばしば言及され、日本のかなり大規模な「シュルレアリスム展」に出品されたため)「主な作品」と言って差し支えないと(執筆者が)判断しました(なお、ポンピドゥーのサイトには習作、未完成作品、素描、同じテーマのバリエーションなどが多数掲載されています)。一方、「パリ市立近代美術館」所蔵作品につきましては、もう少し追加すべきかもしれませんが、パリ市立の美術館は(他の市立美術館も)情報提供活動が不十分なため、目下のところ、これ以上の情報は得られていません(カタログなどを入手する機会がありましたら再検討し、必要に応じて追加致します)。--Hparis11ed会話2019年12月3日 (火) 17:04 (UTC)[返信]
  •  追記 申し訳ありません、執筆が2か月以上前のことで記憶違いがありましたので、上記の一部を取り消しました。併せて「#主な作品」について(いつも長くなるので、できるだけ簡潔に)補足説明します。上記のように、「ポンピドゥーのサイトには習作、未完成作品、素描、同じテーマのバリエーションなどが多数掲載されています」。このため、これらを除き、日本の「シュルレアリスム展」の出品作を中心に、文献で言及されることの多い作品を挙げましたが、事実上、かなり網羅的です。他の美術館所蔵の作品についても同様です。「パリ市立近代美術館」所蔵作品も「#作品を所蔵する主な美術館・所蔵作品」で外部リンクを張りました「パリ市立近代美術館」には、この美術館が所蔵するほとんどのブローネル作品が掲載されていると思われます(パリ市立近代美術館はほんの1、2年前まで公式ウェブサイトすらありませんでしたので、上記では勘違いしていました)。要は、習作、素描、同じテーマで繰り返し描いたもの等を除くかなり網羅的な一覧になっているということです。併せて、この点で検証可能性、中立性確認の一助として、原題を加えました。--Hparis11ed会話2019年12月3日 (火) 22:17 (UTC)[返信]
  • 原題の併記対応とお返事、ありがとうございます。こちらからコメントを返すのが遅くなりすみません。残念ながら私の最も懸念している事項が未反映となっているため、現時点では賛成票への変更は難しい状況です。Hparis11edさんが「文献で言及されることの多い作品を挙げました」とおっしゃっている、まさにその出典をきちんと書いてほしいというのが私の元々のリクエストです。今回は一般的な文章記事の中に一覧を組み込む形式ではありますが、「Wikipedia:一覧記事#掲載の基準」に定義されている基準が役立つと思いますので、引用します (ガイドラインとして提案中の文書ステータスですが、私はこの基準に基本的に賛同しています)。「何が含まれ、何が含まれない一覧か、その基準は明確でしょうか」、「曖昧な基準で一覧を作成すると、他の人は、その一覧に何を加えてよいか、何を加えない方がいいか、迷うことになります」のあたりを今一度お読みいただきたいです。当文書の「#過去の事例」を見ても分かる通り、一覧系は過去に執筆者間で価値観の衝突が起こりやすいです。また、秀逸な一覧の選考でも、過去に掲載基準を巡って衝突した例 (航空事故) があります。
今回のケースであれば、ブローネルの全作品を掲載できないのであれば、専門家がピックアップしたシュルレアリスムの作品紹介本をいくつか組み合わせて特筆性の出典にするなどの方法が現実的ではないでしょうか。ちなみに、2011年の国立新美術館展示作品は、特筆性の観点では難しいです。長期の出張となると、本家から借りやすい作品が集まりやすい傾向にあるので、国立新美術館展示作品=「そこそこな作品のリスト」とも捉えられるからです。
また、現在の一覧は全て美術館所蔵となっていますが、個人所蔵の中に高評価のものがないのか気になります。軽くオークションサイトをチェックしてみましたが、ブローネル作品も取引がそれなりにあるようです。殆どの作品をフランス政府に寄贈した、との記述と反しているように見受けられますし、本文中で出典としているプレスリリースを読んでも、「殆ど」とは書かれていないように見受けられます。良質な記事の選考で個人所蔵まで全て網羅せよ、とまでは申し上げませんが、なぜ美術館だけに限定したのか、またどのような基準で一覧を作成したのか、を一覧の節で明確に文章として書くべきと考えます。
最後に、なぜ一覧の基準を重視しているか述べておきます。Hparis11edさんのように丁寧に背景を調べ、文脈を構築する執筆者というのは数が少なく、むしろ機械的にデータを書き足して百科事典からかけ離れた「作業」を好むユーザの方がウィキペディアには多いというのが私の印象です。この傾向は一覧だけでなく、機械的 (しかも無意味な) カテゴリの付与だけを大量にこなすケースでも散見されます。なので、ディフェンス力を高めるという意味でも、出典の個別明記と基準の明文化が必要ではないかと私は考えております。決して重箱の隅をつつきたいのではない趣旨だけご理解頂ければ。ご参考までに、現在同時並行で選考に挙がっている中島敦でも、当該ノートにて、代表作を列記する際に細かい検証をし、それを出典明記した軌跡が読み取れます。--ProfessorPine会話2019年12月6日 (金) 11:28 (UTC)[返信]
  • まず、上記の私の誤記を訂正します。「ほとんど」の作品と書きましたが、「1985年」に「妻ジャクリーヌにより絵画、素描、陶磁器、彫刻など作品のほとんどが国に寄贈された」のであって、これ以前には世界各国で個展が行われているため、個人蔵の作品もたくさんあると思いますが、これについては調べていませんし、個人蔵のものも含めて扱っている文献は入手していません。
一覧に関する出典として、「専門家がピックアップしたシュルレアリスムの作品紹介本をいくつか組み合わせて特筆性の出典にするなどの方法」をご提案いただきましたが、シュルレアリスム全体を扱った文献では、(私が知る限り)ブローネル以上に重視される画家の作品が中心となりますので、ブローネルの作品を挙げているとしても点数は多くありません。
本記事では、各所蔵美術館や展覧会の案内を含めて文献を10以上挙げていますが、各文献で言及される作品数は2、3点程度です。したがって、作品1点ごとに出典を付けるとしたら煩雑になりますし、一覧に、「この一覧は本記事の執筆にあたって参考にした文献による」とあえて書くとしても、執筆者が参考にしていない他の多くの文献を調べると、さらに「主な作品」と言えるものがあるはずだ、ということになり、同じように、中立性に欠くということになります。
また、上記の他の方への返信にも書きましたが、私が「主な作品」を挙げた理由の一つは(「主な」作品であって「代表作」ではありません)、画像を掲載することができないからです。多少なりとも(作品名だけでも)一覧として情報を提供することで、彼のシュルレアリスムのイメージがつかめないだろうかと思いました。要は次善の策であって、これによって別の問題が生じるようでしたら削除しようと思います。
ただし、引用されている「何が含まれ、何が含まれない一覧か、その基準は明確でしょうか」、「曖昧な基準で一覧を作成すると、他の人は、その一覧に何を加えてよいか、何を加えない方がいいか、迷うことになります」につきましたは、逆に「主な」作品とすることで、他の人が「主な作品である」と判断するものを加筆することができますが、ここに、私が参考にした文献に基づくもののみという制限を加えると、他の人が作品を追加することが困難になります。
併せて、ProfessorPineさんのご指摘は、私が作品を一覧に示したために、一覧に関する方針・ガイドラインの問題としてのみ論じておられますが、そうであれば、この記事に限らず、画家や作家の作品一覧を作成する場合、画家の習作、作家の雑誌掲載記事などまで網羅することは到底不可能ですから、これらすべてについて基準を書かなければ、中立性、特筆性等に問題があるということになります。まとまった一覧を掲載している他の出典がなければ、執筆者がどれほど多くの文献にあたり、苦労して一覧を作成しても、これらの文献を、「脚注」や「参考資料」とは別に、すべて挙げなければ中立性に欠けるということになります。そういうことでしょうか。そうであれば、これは作品一覧に限らず、各記事の関連書籍・文献などその他の内容についても同じではないでしょうか。
なお、中島敦の作品の出典は、各作品の概要の出典であり、なぜ、これらの作品を代表作とするのかという説明ではないと思います。
以上により、「主な作品」の下に「詳細については、凡例に記した資料および「作品を所蔵する主な美術館・所蔵作品」の各サイトを参照のこと」と加えるのみと致しました。--Hparis11ed会話2019年12月6日 (金) 15:13 (UTC)[返信]
 追記Wikipedia:一覧記事#掲載の基準」をもう一度確認しましたが、ここに記載されている「一覧記事」の方針やガイドラインの提案と記事の中の「作品一覧」、「主な作品」を一緒くたにするのは適切ではないと思います。「主な作品」の場合、「掲載の基準はわかりやすいか?」についても、「価値観の衝突を招かないか?」についても必要と判断するものを追加すれば良いだけで問題なく、こうした記事内の一覧の出典を必須とする方針やガイドラインはないように思われます(ある場合は、ご教示ください)。実際、良質な記事や秀逸な記事をいくつか確認しましたが、「主要作品」、「主な著作」とあるのみで、出典を示していないものがありますし、なぜそれを「主要」、「主な」とするのかという基準も記載されていません。これは作家の場合も同じですから、アーサー・コナン・ドイルエドガー・アラン・ポー川端康成などをご覧ください。ProfessorPineさんは同じ理由によりこれらの記事の再選考を要求されますか? そうでなければ、「主観を交えず、出来る限り客観的な批評を行う」という原則に反するように思われます(繰り返しになりますが、以上の説明は良質な記事かどうかということとは別です)。--Hparis11ed会話2019年12月6日 (金) 20:53 (UTC)[返信]
  • 残念ながら私の意図がうまく伝わらず、修正対応が一部しかなされなかったため、今回の選考では賛成投票を見送りとさせて頂きます。「出典の個別明記と基準の明文化」の2点を条件として挙げましたが、前者の個別の出典明記は「煩雑だから不要」とのHparis11edさんご判断に私は違和感がございます。「Wikipedia:出典を明記する#出典の示し方」ではgeneral reference方式は推奨されていません。複数文献を使ってリストに掲載する/しないを判断している場合は、最初のコメントで例示した通り、1行ずつの出典個別提示が適切と考えます。例示ですが、節リンクの指定を間違っていたので、正しくは「著作権法の判例一覧 (アメリカ合衆国)#連邦下級裁判所の判例」をご覧ください。判例一覧のケースでは、記述内容が正しいことは判例集の番号に個別リンクを貼って示し (=検証可能性)、その上でその判例をピックアップする客観的基準として別途「特筆性」の列を設けて出典を明記しています (=中立性)。さらに一覧表の前には「下級裁判所の判例であっても、後の類似訴訟で引用参照されることが多いなど、研究機関や専門家が特筆性があると言及した判例に絞り、一覧化している」と明文化しています。
さらに今回は美術作品なので、固有の問題が発生します。美術館所蔵の場合、「寄贈」(すなわち美術館に所有権が移転しているパターン) と「寄託」(すなわち管理を委託して美術館で展示してもらっているが、所有権は個人に残っているパターン) があります。寄託の場合は、所有者の一存で寄託先美術館を変更したり、オークションなどで売却する場合も将来発生しうるため、いつ時点で美術館所蔵のステータスを確認したのか、ウェブサイトであれば閲覧日を添えて個別に出典明記する必要があるでしょう (文献ならば発行年が書かれているので閲覧日の記入は不要ですが)。
ドイルや川端など、他の作家記事で特筆性の出典明記を個別に行っていないから、自分が書いた記事もそれで良いのだ、という理由にはならないでしょう (無論、横並びのお気持ちは分からなくもないのですが)。あくまで準拠すべきは各種ルール文書です。ちなみに「Wikipedia‐ノート:良質な記事/良質な記事の再選考#問題のある記事のテンプレートが貼られた記事」をご覧頂ければ分かるように、過去に良質な記事として通過した記事の中にも、その正当性が疑問視されているものが多数あります。現在もこれら記事群が再選考にかけられていないからという理由で、これから選考する記事の基準を下げる理由にはならないですよね。--ProfessorPine会話2019年12月8日 (日) 02:56 (UTC)[返信]
  • 「ドイルや川端など、他の作家記事で特筆性の出典明記を個別に行っていないから、自分が書いた記事もそれで良いのだ、という理由にはならない」――そのようなことは一切言っておりません。ですから、きちんと、「以上の説明は良質な記事かどうかということとは別」であると書きました。
「過去に良質な記事として通過した記事の中にも、その正当性が疑問視されているもの」が「再選考にかけられていないからという理由で、これから選考する記事の基準を下げる」ように言っているのでもありません。曲解しないでください。私はProfessorPineさんが、ご自身が必要とされる基準をこの記事にのみ適用しようとするのは中立的と言えないのではないかと指摘しているのです。しかも、「もし出典補強に時間を要するようであれば、選考期間の延長もご検討下さい」と、ご要望にお応えするのが当然であるかのような書き方もされています。
私がこの場でいただいたご意見、ご指摘に回答・対応致しましたのは、まずこのような場を与えられたこと、そして貴重なご意見、ご指摘をいただいたことに感謝し、かつ、主執筆者としての責任を果たすためであり、賛成票を得るためではありません。したがって、指摘されたことの是非についても論じさせていただきました。ありがとうございました。今後もいただいたご意見を参考にし、折に触れて本記事を改善して行きたいと思います。--Hparis11ed会話2019年12月8日 (日) 11:38 (UTC)[返信]
  • 「検証可能性」「中立性」といった基本原則とその派生文書に則り、公正かつ客観的に指摘したつもりだったのですが、それが本件にだけ独自基準を適用していると読めるとのことなので、まぁ私の講評表現力が不足しているのでしょうね。残念でなりませんが、これ以上は水掛け論になるので控えます。本来であれば、批判的コメントはもう少し早くに寄せた方がベターだったのでしょうが、他の選考もあったため締め切り近くの投稿になり、すみませんでした。過去に自ら延長を申し出ることを躊躇されている別ケースがございましたので、念のためもし必要なら締め切り延長もご検討を、と今回申し上げたまでです。決して修正を強要するものではありませんので、その点だけは誤解なきようお願いします。--ProfessorPine会話2019年12月8日 (日) 13:43 (UTC)[返信]

選考終了時点で賛成2票のため、今回は見送りとなります。--Tam0031会話2019年12月9日 (月) 14:17 (UTC)[返信]