Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/中島敦 20191111

中島敦 - ノート[編集]

選考終了日時:2019年12月23日 (月) 00:04 (UTC)

  • (自動推薦)2019年10月の月間強化記事賞受賞記事。--Trgbot会話2019年11月11日 (月) 00:04 (UTC)[返信]
  • コメント 有名な作家であり、生涯から作風・評価まで一通り出典付きで記載されており評価したいところですが、個人的な感想・意見として、やや引っかかるところがあります(趣味の問題とも言えますが)。
  1. 「生涯」節と内容重複する「略年譜」節は不要とというか、くどいと思います。「略年譜」にしかない出来事もありますが、「生涯」節にまとめて書く方が記事全体としてスッキリするのではないでしょうか。
  2. 「著作」節は内容充実していますが、他の部分と比べて細かすぎるというか、長すぎる感想を持ちます。長大な表で記事が分断され読みにくいというのもあり、現在の「著作」節のボリュームを生かすのであれば、「中島敦の著作一覧」として記事分割しても良いのではないでしょうか。
あと、注釈3と6に出典がありません。--Iso10970会話2019年11月15日 (金) 12:56 (UTC)[返信]
  • コメント 作風や評価を中心に一部を加筆した者です。Iso10970さんのご指摘のとおり、現段階では「略年譜」節はエピソード的な部分も含みますし、「生涯」節にまとめることに賛成です(「Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)#本文」)。「著作」節は現段階では分割の目安の25,000バイトに到達していないものの、みしまるももさんに加筆していただいたたおかげで充実していっていますし、分割するのも手だと思います。モバイルビューで表が見づらいので、このまま残す場合も表の形式については改善できればと思っています(表の枠を最初に用意したが私なので恐縮ですが)。
  • なお、「関連文献」節について、近代作家研究事典刊行会編『近代作家研究事典』 桜楓社、1983年で中島敦研究の重要文献とされた論文・書籍だけでもかなりの数がありますし(それらの多くは未掲載)、掲載に何らかの基準が必要な気がします。あるいは関連文献の節は除去して、実際に出典として使用した参考文献の欄を「評伝」などの小見出しを設けて分類するのでも良いかもしれません。--伊佐坂安物会話/履歴2019年11月16日 (土) 13:19 (UTC)[返信]
  • コメント 加筆修正が積極的に行われている最中ですが、現時点では反対寄りです。oldid=75088485 の版をベースにコメントします。Iso10970さんご指摘の点と全く同感でして、雑多でトリビア的な情報とコアな部分が混在して読みづらく、大幅なリストラクチャリングが必要と感じます。今回のケースでは、Iso10970さんの言葉を借りると「くどい」とか「長すぎる」箇所をボトムアップ式に削るのではなく、先に全体の目次構成を大きく組み直し、節ごとの目的をはっきりさせてから削っていくトップダウン式の方が向いているのではないでしょうか。で、目次構成ですが、Wikipediaの人物伝では生い立ちから時系列的に書くケースが圧倒的に多いのですが、正直ざっくり知りたい読者にはイライラします。結局、他のネット記事を読んでしまうことが多いんですよね。今回の中島敦に関して言うと、一番最初に知りたいのは「#作風」です。伊佐坂安物さんが後日加筆したパートとのことなので、おそらく気を使って後ろの方に配置したままなのだと思うのですが、導入節の次に持ってきてもいいくらいです。そして、その作風を生み出した背景には、どんな内的・外的要因があったのか、生い立ちや家族の説明が続く方がスッキリします。私だったら以下の構成に変えます。
  1. 導入節 - 現在のままでOK。
  2. 作風 - 一般的な記事の「概要節」の側面も含まれているので、導入節直後で。かなり洗練度の高い記述で、知りたいことが凝縮されています。導入節とのつながりも良いです。
  3. (著作 - 分割しないなら作風の直後に挿入。分割するなら作風の節の最後に{{See also}}で誘導。)
  4. 生涯 - 現在のボリュームで十分だと思います。略年譜には生涯の節に書かれていない内容がある、とご指摘ありましたが、雑多な情報が多いので、わざわざ生涯節に移入しなくてもいいのでは?
  5. 評価・受容 - 現在のままでOK。生涯の節の直後にしたのは、先に時系列的に中島がどのように生きたか全体像を見せた方が、どのタイミングで外部から評価されたか分かりやすいと感じたためです。
  6. 人物 - 現在のままでOK。評価の節までがコアパート、人物の節以降はオマケ的な位置づけにシフトさせる構成です。
  7. 家族・親族 - 特筆性のない人まで列挙する必要性を感じません。絞り込みが必要では?
  8. 略年譜 - 現在の1/4ぐらいに大幅減量するイメージ。あくまでAppendixの位置付け。
私は著作の節をページ分割し、かつTable形式を廃止する方向性に賛成です。
もしご希望者がいれば、選考期間を延長して下さい。ただし、複数人で共同執筆されている記事なので、意見調整が難しいようにも見受けられます。いったん今回の選考は見送って、じっくりリストラクチャリングして頂いた方が共同者間のシコリが残らずいいのかな、という気もいたします。--ProfessorPine会話2019年11月22日 (金) 10:39 (UTC)[返信]
  • 冒頭(導入部・Infobox)
  • 来歴・人物 - 「生涯」「人物」
  • 作家としての解説 - 「作風」「評価・影響・受容」および「家族・親族」節中の小節「中島家・漢学の系譜」
  • 付録(データベース的情報) - 「家族・親族」節中の小節「主な家族・親族」から、「略年譜」「作品一覧」「保存活動・企画展」「関連文献」……
という括りになるようにしています。
記事のノートでも触れましたが、読者によって読みたい情報や読み方は変わりますし、その時々の記事を参照する事情でも変わってきます。現状の構成であれば、その人物の人生や人物像について知りたい人は「生涯」「人物」節を読み、作家としての特徴や評価、背景を知りたい人は、「作風」から「中島家・漢学の系譜」まで連続して読めるようになっています。また、サブセクション(小節)の構成も工夫しましたので、目次を見てピンポイントで読みたいところに飛ぶことが可能です。なお、「略年譜」についても時系列を把握したい人が必要に応じて参照するという位置付けと考えれば、「生涯」節や「人物」節との重複は問題にならないと思います。
また、みしまるもも様に加筆いただいた導入部は3段落構成になっており、第1段落で概要をつかみ、第2段落で作風を、第3段落で代表作などについて知ることができる状態で、導入部としては過不足なく良くまとまった状態ではないでしょうか。「作品一覧」につきましても、一覧表の手前にWikipediaに独立記事がある作品についてTemplate:See alsoと同様の形式で誘導する文章を記しましたので、読み手の利便性も向上したと思います。あと「生涯」節については選考に挙がった当初に比べると文章量が増えていますが、小節を細かく区切っているため、以前より読みやすくなったと考えています。
まだ細かなところで推敲や修正が続いていますが、記事の構成については概ね固まったと思い、上記のように補足申し上げる次第です……。--Assemblykinematics会話2019年11月30日 (土) 10:05 (UTC)[返信]
報告 先のコメント後、みしまるもも様によって「Template:中島敦」が制作され、記事の末尾に設置されています。モバイルビューでは見れませんが、デスクトップビューでは作品一覧を簡単に把握することができ、かつ個別作品や関連記事へ飛びやすくなって便利になっています。--Assemblykinematics会話2019年12月7日 (土) 08:58 (UTC)[返信]
コメント 選考期限の 2019年12月23日 (月) 00:04 (UTC) までまだ時間はありますが、指摘を受けての議論や、それに伴う改稿、再査読などがあった場合、それ程余裕はないのではないかと考えています(師走の多忙な時期とも重なりますし……)。今回は節構成や各節の位置付けが大きな問題となっており、そのような全体的な構成については概ね編集し終わっています。御多忙のところ恐れ入りますが、Iso10970様やProfessorPine様には現状の版(2019-12-05T08:53 (UTC) 時点の版)で再度判定いただけると幸いです……。--Assemblykinematics会話2019年12月7日 (土) 08:58 (UTC)[返信]
  • 賛成 2019年12月12日 (木) 02:00 (UTC), oldid=75326420 の版を再読しました (1回目講評時との差分も参照)。気になる点も残りますが、先述の指摘事項はある程度解消されており、良質な記事としての水準は満たしたと考えますので賛成票を投じます。
  • 【改稿後の高評価ポイント】作風の記述順を前倒しした上で厚みを持たせ、逆に家族・親族に列記する人物を削った上で作品との関連を補記した点は、メリハリが効いて良くなったと思います。また、導入節の第2段落を補強したことで、ざっくり知りたい読者のニーズにも適っていると思います。
  • 【今後期待したいポイント】もし秀逸な記事を今後目指されるならば、以下も参考になさって下さい。
  1. 【世相】中島敦は太平洋戦争前~戦中の作家ですから、当時の文芸界に対する思想・表現の自由弾圧の影響を多少なりとも受けているのではないでしょうか。たとえば『山月記』が掲載された『文學界』は、既に1938年には反戦文学を掲載して発禁に処されているとのことです。中島敦は卒論で耽美派をテーマにしているくらいですから、おそらく当時の全体主義、道徳主義的な世相とは相性が悪かったのではないか、と私は勝手ながら推測しています。また、中島敦が政治的な人物であったか否か、専門家の解釈は分かれているようですね。実は政治的なトピックを書きたかったけど、思想弾圧で書けなかった背景もあるんじゃないかという気がします。この辺りは、今までに使っている文献 (人文科学系) とは異なる指向 (社会学系) の文献を補強しつつ、戦前戦中の文芸界を俯瞰すると面白いと思います。
  2. 【西欧文学・哲学からの影響】Infoboxの「影響を受けたもの」欄や「作風」節を読むと、中国だけでなく西欧からの影響も強いと読み取れます。ところが導入節や「生涯」節では、西欧からの影響の記述が不足していて、節間の断裂が見られます。具体例を挙げると、旧制一高卒業後、友人らは英文科に進むと予測していたのに、実際には国文科に進んだとのことですが、それまで英文学に触れていたとの記述が一切ないので唐突感があります。作風節まで読み進まないと、導入節の「冷厳な自己解析や存在の哲学的な懐疑」との記述が西欧からの影響だとは、読者は気付けないと思います。また、旧制一高時代、田中西二郎と知り合ったとだけ書かれていますが、「2歳年上で英米文学の翻訳家である田中」、との説明があれば、田中を知らない読者であっても、旧制一高卒後に英文学科への進学を予想されていた背景が伏線として理解しやすくなるでしょう。これは一例ですが、やはり未だに生涯節と作風節のつながりが弱い部分がいくつか見受けられます (書きだすと止まらないのでやめときます)。
  3. 【作風の変遷・転換】ピカソの青青の時代とキュビズムのような大々的なパラダイムシフトはたぶんないと思いますが、中島敦の作品にもどこかに転換点がないのかが気になります。一応作風の節にて、『古譚』4編が転換点となって漢文シフトとなったことは書かれていますが、もう少し生涯の節 (社会経験が作風の転換にどう影響したのか)、および著作一覧の節 (作風の変遷が分かりづらいので) とうまくつながるように説明できないでしょうか。私が中島敦を読んでいないのでトンチンカンな推測かもしれませんが、一人称小説と三人称小説の違いみたいなものです。1934年『虎狩』や1938年頃『かめれおん日記』では主人公は「私」(しかも私小説的な私) ですが、1940年代に入ると自己投影しながらも主人公が作家本人から距離を保って書かれており、これはきっと自我の追及が終わって、自分を客観視できるようになったのではないかなと。三人称小説にも、神視点とか単視点 (背後霊型で実質は一人称小説と同じ) などいろいろ区分があるので、中島敦がどう人称・視点を使い分けて執筆していたのか気になりました。
  4. 【モバイル表示問題】伊佐坂安物さんが触れている表形式の話です。良質な記事や秀逸な記事では、端末互換性は選考目安に入っていないため、私は今回の評価からは除外しています。ですがモバイルアクセスが増えているであろう現状、やはり著作一覧の表が見づらいのは何とかしたいですね。実は私も著作権法で一覧系の記事を書いていて、同じくモバイルだと改行されずに横スクロールが発生する問題を抱えています。いろいろ記法を工夫して比較検証したものの (⇒これです)、いまだ解決できていないので、中島敦と著作権でまとめて井戸端あたりに解決法の質問を投下してみますか?
パワーライター複数人での共同執筆は、意見調整など大変だったかと思います。本当にお疲れ様でした。--ProfessorPine会話2019年12月15日 (日) 09:48 (UTC)[返信]
  • 賛成 様々な観点からしっかりとまとめられた記事になっているものと思います。--Tam0031会話2019年12月16日 (月) 14:12 (UTC)[返信]
  • 賛成 ノートで書いたことと関連して、まだいろいろ気になる点はあるのですが良質な記事としては十分だと考えて賛成します。内容は変わらないので良いのですが、「Wikipedia:信頼できる情報源#情報源」に「信頼できる出版元によって、その情報が入手できる状態になっていない一次資料は、使ってはいけません」とあることを考えると評価節の出典の「芥川賞のすべて・のようなもの」は個人サイトなので別の出典のほうが良い気がします。ProfessorPineさんご指摘の点についていえば、①歴史学者の小谷汪之は比較的中島敦の政治的な側面を強調していまして、他にも文学研究者以外の歴史学者などによる出典を探してこれれば、いろいろと社会との関わりが書けるのではないかと思います。文学研究者のものだと現状では未使用の渡辺一民『中島敦論』 みすず書房、2005年にもそのあたりの言及がありそうです。②作風の転換という意味ではおっしゃるとおり私小説の手法からの脱却が大きな転換だといわれているようですので、そのあたりを生涯節も含めて、全体的に強調しても良いものと思われます。--伊佐坂安物会話/履歴2019年12月22日 (日) 23:55 (UTC)[返信]

選考終了時点で賛成3票のため、通過となります。--Tam0031会話2019年12月24日 (火) 14:33 (UTC)[返信]