Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/越前漆器 20240311

越前漆器ノート / 履歴 / ログ / リンク元[編集]

選考終了日時:2024年3月25日 (月) 00:05 (UTC)

  • (自動推薦)2024年2月の月間強化記事賞受賞記事。--Trgbot会話2024年3月11日 (月) 00:05 (UTC)[返信]
  • 反対 コメント:伝統工芸であるなら「課題」や「評判」といったさまざまな角度からの記述が求められると思います。現状はこれらがなくポジティブなところだけを伝えようとしている点で中立的ではないと考えます。 --YasuakiH会話2024年3月16日 (土) 12:54 (UTC)[返信]
    コメント 伝統産業は時代とともに変容しながら継承されていますので、各時代ごとにその時々の課題や評価があり、それらは「歴史節」のなかで説明されています。これを仮に「課題と評価」のような節にまとめてしまうと、こうした長文の項目ではそこしか読まない読者もいるでしょうから、それら課題や評価がすべて現在の話であるかのような誤読を招くおそれがあるでしょう。--漱石の猫会話2024年3月16日 (土) 17:19 (UTC)[返信]
    返信 課題とは「未解決の問題」あるいは「将来起こりうる問題」という意味で書きました。解決しているものは現状のままでよいでしょう。私の思考はこうでした。もし未解決な問題 (=課題) があるなら、この記事を読んだ読者が越前漆器を理解し、さらには応援しようという気持ちになるかもしれない。また実際に伝統工芸に携わっている人の立場でないと気付かないギャップがあるならそれを記述したほう良いだろうと考えました。たとえば原材料の供給、物流、人材、競合、行政の理解などです。具体的に挙げられないので反対は取り消しニュートラルにします。--YasuakiH会話2024年3月17日 (日) 21:38 (UTC)[返信]
    返信 実際に携わっている人が現在認識しているような課題は、当然それらに対する改善や対応は検討・実践されており、そうしたものが第三者に検証可能な情報として表に出るときには「取り組み」という形で現れるのではないでしょうか。例えば新素材の開発研究には既存の原材料に対する課題が、学校給食への導入には次世代への伝統の継承などの課題が認知されており、それらへの対策と推察されます。
    課題が認知されかつ解決されていない課題としては、工芸品としてはブランド力で輪島塗に劣るというのが1970年代に指摘されていますが、半世紀前のこの記述が現代なお課題なのか(課題と認識されているのか)どうかは判然としませんので、歴史節のその時々に記載の後の時代のことは読者の想像にお任せするほかない部分です。漆器産業は日本全国にあり、国の伝統的工芸品となっている産地だけでも20以上ありますので、全漆器産地に共通する課題もあれば産地ならではの課題もあることでしょう。そうした特徴は他と比較して優劣を決められるものではないので、この項目では越前漆器に関わり判明している客観的事実のみを記述するのが適切と考えています。
    なお、私がこの項目を加筆した際に唯一除去した既存の記述は、「今後への期待として、万人受けする現代社会に順応した応用の効く漆器製品の需要が必要である。アニメやデジタルが普及している現代にあった絵柄、装飾、電子レンジに溶けない塗料など。」というものでした。「今後への期待」とは裏を返せば「未解決な問題」を意味するかと思いますが、WP:BALLによれば出典情報のない願望をWikipediaに記載するのは適切ではないと思われるので除去しています。これが個人の感想ではなく関係者や専門家や行政など公的な立場の方による見解という出典があれば「~といった指摘がある。」と書くことは可能だったとは思います。--漱石の猫会話2024年3月19日 (火) 21:06 (UTC)[返信]

コメント 主筆者です。この項目であと追加できるとよいと思われる点は、一次資料に基づいた生産高や従事者数などの事業規模の統計の推移と思っていますが、残念ながら一般の第三者に検証可能な状態にあるそうした一次資料は見つけられませんでした。また、「良質な記事」のレベルにそこまでの詳細な資料の添付は必要ないようにも思いますので、もしそれらが必要と考える方がいらっしゃいましたら、文献調査に御協力いただければ幸いです。--漱石の猫会話2024年3月16日 (土) 17:26 (UTC)[返信]

  • コメント いくつか気になる点がありましたので、下に列挙します。
特徴節
「軽量だが、古典的な優雅さと厚手で堅牢さを備えるところが特長とされる」という日本語がよくわかりません。「軽量ながら厚手で丈夫であり、安物のようなところはない」くらいの意味ではあると思うのですが……
「また、産業発祥が少なくとも飛鳥時代まで遡れることから……」という下りは漆器の特徴の説明となっていないようにみえますから、歴史節に移すべきだと思います。
歴史節
「第26代継体天皇がまだ皇子であった頃に今立郡味真野の郷を訪れ……」という下りですが、何らかの史料に記載される内容なのでしょうか。そうであれば典拠を記すべきですし、そうでなければ(あるいは比較的新しい記録にしか現れない内容ならば)「そういう伝承もある」程度の記述に留めておいたほうが安全なように思います。
「全国的な動向としては……」のくだりについてですが、平安時代についての記述と鎌倉時代についての記述の間に室町~安土桃山時代の記述が割り込むかたちになっており、改善の必要があると思います(この下りが特に言いたいことは「しかし、越前漆器にこれらの技術が導入されたのは明治期以降であり…」以降だと思いますし、大意を同じくする記述が次節にありますから、丸ごと削るか脚注化してしまってもかまわないような気はします。
鎌倉期から一気に近世まで記述が飛ぶかたちになってしまっていますが、本当にこの間について書くことはないのでしょうか。片山地区から一山越えたところに一乗谷がありますし、朝倉氏あたりとの交流も緊密だったのではないかと思ってしまいます(見当違いなら申し訳ないです)。
「昭和戦後期」節と「現代」節が分けられていますが、一般的な時代区分だと昭和戦後期は「現代」になると思います。「現代」節は記述の内容からして「平成期以降」などとしたほうがよいのではないかと思います。
「製法と種類」節
日用品・業務用品としての越前漆器については十分に説明されていると考えますが、たとえば漆美会が作ったような「伝統的な高級技術」についてもある程度触れたほうが良いのではないかと思います。--Nux-vomica 1007会話2024年3月18日 (月) 03:32 (UTC)[返信]
  • 返信 丁寧な読解とコメント、ありがとうございます。明日以降に手持ちの文献を再度確認してから加筆修正しようと思いますが、とりあえず方向性だけ回答しておきます。
特徴節
・ 加筆前の表現をできるだけ残して文章を練ったのですが、ちょっと無理がありましたね……。私のほうで確認した文献にあった表現を優先して再構成を検討します。
・ 「Wikipedia」が会話の中で百科事典そのものを指す場合とコミュニティを指す場合があるように、「〇〇漆器」の呼称は漆器そのものとその産地一帯を指す場合とがあります。全国に数十ある漆器産地のうちの越前漆器産地の特徴であると判読しやすいように、文章表現を改めようと思います。
歴史節
・ 継体天皇云々は越前漆器の発祥を述べた古今のおよそすべての文献で史実として扱われています。典拠はこの一文の末尾にあるのがそのひとつですが、もうすこし固い文献のものも後ほど追加します。
・ 全国の動向は注釈に移そうと思います。
・ 一乗谷側の文献を確認していないのでしかとは言えませんが、越前漆器の文献で一乗谷や朝倉氏に関わる記述(というか中世や近世の他地域との関わりの記述)は特には見当たらなかったような気がします。原材料を求めて各地に出向いたようで、すぐ隣の石川県の山中漆器も越前の木地師が移住したのが発祥とされていますので、一乗谷ともなんらかの交流はあったかもしれません。ただ、漆器は古来日用品でそこらじゅうで生産されていたようですし、気候的にもこの一帯は特に漆産業に適した条件があったようですから、一乗谷に漆器産業に関する記録があったとして越前漆器とは限らないようにも思えます。
・ 昭和戦後以降の小節名は変更を検討します。
「製法と種類」節
・ この「伝統的な高級技術」が具体的に何を指すのかが実は文献に明記されていなくて(加飾や沈金のこととは思いますが)、漆美会という名称の団体についてもこの記述のほかに登場する文献が見当たらなかったので、具体的な内容やその後どうなったのか説明することが困難です。ただ、「漆器作家」として工芸分野で活躍する越前漆器職人に関する資料はいくつか確認したので、後ほど工芸分野の事例や評価についても加筆しようと思います。

--漱石の猫会話2024年3月19日 (火) 21:50 (UTC)[返信]

継体天皇伝承についてこちらでも簡易的に調べてみましたが、片山町の漆器神社由緒には「継体天皇が男大迹皇子として味真野に潜籠していた時に黒塗の食器を献上した」との記述があるようです[1]。味真野と継体天皇を結びつけたのは謡曲『花筐』と考えられており、これは史実ではなく、当時味真野が越前の歌枕となっていたことに拠るものだと考えられているそうです[2][3]。杉本伊佐美さんという郷土史家の方は、河和田漆器の由緒を継体天皇に求める伝承が、史実のごとく扱われる現状に苦言を呈していますね[4]。--Nux-vomica 1007会話) 2024年3月20日 (水) 06:56 (UTC) typo訂正 --Nux-vomica 1007会話2024年3月21日 (木) 14:56 (UTC)[返信]
  • 返信 こちらの追記を見落としたまま、とりあえず加筆修正しました。後の方への返信でも述べていますが、本項目に限らずこの時代の歴史的記述の信ぴょう性に疑義があることは一般常識として理解していますが、ウィキペディアは百科事典ですから定説を基本に記すべきと考えています。諸説あると記すにしても文献が10あるとしてそのうちの9が継体天皇の奨励を受けたと記載している以上、異説を同列に扱うことは定説の重みを歪めることにつながり好ましくないと思います。また、味真野云々の地名は私が確認した文献にあった記述ではないので、私にこの情報の検証を求められても正直困っちゃうんですよね……。ただ、継体天皇説は「片山漆器(片山塗)」産地の発祥に関するもので、明治期以降に拡大したその他の地域「河和田漆器」の発祥説ではないことは確かですから、杉本氏の苦言はその通りだと思います。--漱石の猫会話2024年3月21日 (木) 11:31 (UTC)[返信]
    加筆を確認しました。おおむね対応いただけたものと考えます。お手数をおかけしましたがありがとうございました。継体天皇伝承についてですが、杉本(1968)には「例証するまでもなく本県には同王子に由緒をもとめる口碑伝説がすこぶる多く、それを史実として取り上げている著書もいくつかある」とあり、こうした史実性に欠ける言い伝えが「定説」化している現状に対する呆れの念を率直に語っていますね。下のコメントにもあわせて言及いたしますが、「男大迹皇子が片山の職人に傷んだ冠を塗り替えさせた」という伝承は片山漆器神社の縁起にあるものではなく、おそらくは言い伝えにすぎないと思われます(まだ本格的に資料を渉猟したわけではないので断言はできませんが、たとえば鯖江商工会議所(1981)『会議所二十年と鯖江の産業』はこの伝承が「口碑」にすぎないと明言していますね[5])。杉本寿(1967)『木地師制度研究序説』は、こうした継体天皇に自らの由緒を求める伝承は、惟喬親王伝説(cf. 木地師)の派生として越前に多くみられるものであると論じています[6]。--Nux-vomica 1007会話2024年3月21日 (木) 15:20 (UTC)[返信]
    (追記)特に近世以前の記述に関して、史学者がかかわって編纂された書籍であるところの『鯖江市史』は他の資料よりも優先されるべきものであると考えます。--Nux-vomica 1007会話2024年3月21日 (木) 15:26 (UTC)[返信]
    早速に確認いただき、ありがとうございます。こちらこそ引き続きお手数をおかけしますが、もしよかったらよいように加筆修正をよろしくお願いします。--漱石の猫会話2024年3月21日 (木) 16:22 (UTC)[返信]
  • 反対
  1. 記事としてはよくまとまっているとは思いますが、残念ながら参照している資料が越前漆器協同組合など関係者が発行したものばかりです。これらは一次資料に相当すると考えます。WP:PSTS
  2. 特にですが、やはり歴史の部分には疑問を持たざるを得ません。一般論としてですが、特定の産物を権威づける、お上から公許を得る方便、仲間内の結束を強めるなど目的で、そのルーツに過去の貴人の名をかたることは珍しくありません。讃岐うどんの空海、博多うどんの聖一国師、猿楽の聖徳太子、木地師の惟喬親王、瞽女の宇多天皇などです。こうした言い伝えは、歴史的な実証が確認できないかぎり史実として扱うべきではありません。実証とは例えば、漆工房跡の遺跡(飛鳥池工房太宰府)あるいは漆紙文書や当時の文献資料(荷札木簡など)です。その上で越前漆器の言い伝えは歴史的な実証がなされた様子がありません(あったならば組合が喧伝するでしょう)。また鯖江市史によれば、継体天皇云々の記述は「伝承」と明記されており、そのうえで史料として18世紀初頭を提示して「農業の副業として始められた」、あるいは「明治22年に漆器業が開かれた」と産地としての始まりを「近世末期から明治期」としています。ただし漆器づくりがいつ始まったのかは記述がありません。自治体史を歴史とするか否かには一考の余地はありますが、少なくともこの部分は1次資料を明記しており信用できます。伝承を史実と記述することじたい、宣伝行為と受け取られても仕方ないと思います。
  3. 前述の鯖江市史には過去の生産量なども記載ありました。また過去に産業化に尽力した人物なども記載があり、もう少し加筆できそうです。
  4. 越前漆器の発祥と背景節、「越前漆器は一貫して安価で丈夫な日用品の域を出ない」のあとに「鎌倉時代(中略)多数の客をもてなす際に使う三つ椀の漆器が必需品として普及」とあり、解説内容に不一致を感じます。
  5. 「やがてシルクスクリーンによる~」「1975年には経済産業大臣指定伝統的工芸品に~」など無出典が散見されます。--あずきごはん会話2024年3月20日 (水) 08:30 (UTC)[返信]
  • 返信 越前漆器について調査もいただいたようで、ありがとうございます。理由は後述しますが、ついでに加筆編集もよろしくお願いします。まずはコメントに対する回答から。
1. 地場産業の項目ですので基幹資料が関係者の公刊物になるのは必然ですが、ちゃんとその他複数の第三者による公的刊行物も多数使用していますので御確認ください。混在してわかりにくいようですから参考文献節は並べ替えました。
2. 継体天皇の奨励によるという越前漆器の発祥説は、繰り返しになりますが、越前漆器の組合による刊行物のみでなく漆器産地について紹介したあらゆる書籍やポプラディアのような一般の百科事典にもおおむね記載されている「定説」です。定説に対する疑義を議論するのは学術界の役割であり、この百科事典で解説される内容は不特定多数の編集者個人の感覚を入れない、出典に基づいたスタンダードな解説であるべきでしょう。Wikipediaは検証可能性を担保する場であり、真実を追究する場所ではないことは方針WP:Vにも明記されています。
学生時代の聞きかじりで恐縮ですが、伝承には文字記録と口伝(言い伝え)とがあり、中世以前の時代について研究する場合、文字記録については史実として扱う対象になる場合があります。メジャーなところで『日本書紀』あたりからですが、書記の内容もすべてが真実であるなどとは誰も思っていないですよね。「歴史的資料に基づき伝えられてきた事実(史実)」がすべて真実でないことは一般常識ですが、「すべてが真実ではない」=「すべて間違っている」ではありませんので、歴史上の有名人を持ち出して権威づける事例が多々あることは、越前漆器の発祥に継体天皇の奨励があったとする定説を否定する根拠にはならないので、学術界に先走ってWikipediaでその論を展開するのは好ましくありません。越前漆器の発祥に関わる継体天皇の件は文字記録であり、近世以前の記録がオリジナルで現存しないことは紙の経年劣化からすれば珍しいことではありません。神社の由緒書きの信ぴょう性はさておき、寺社の記録が中世以前の村の記録としては歴史的文献として扱われるもののひとつで、この内容が正しいか正しくないかは出典に基づいて読者が判断することでしょう。そこで、あずきごはんさんが発見された『鯖江市史』を出典とする情報も併記されるのが望ましいと考えますが、『鯖江市史』に片山漆器の生産の始まりが記載されていないことを論拠として圧倒的多数の文献に記載されている定説を否定するのはWikipediaの編集方針としては不適切であると思いますので、書き方には注意が必要になると思います。なお、一応申し上げておきますと、飛鳥時代に越前漆器が発祥したとされる片山村が河和田村に編入されたのは明治22年、その河和田が鯖江市に編入されたのは昭和32年とごく近年であり、平成時代になって刊行された『鯖江市史』の執筆者が片山で伝えられてきた記録をどこまで調査し市史に反映されたものか、これを越前漆器組合の記録と比較して正確で詳細な文献と位置づけてよいものかという点は疑問に思います。
3. 生産量は、全時代の推移を解説するのは無謀ながら、木製漆器(漆器)とプラスチック漆器(塗り物)との生産量の推移比較がグラフ化で表示できるといいのでは、と思っています。とはいえ、前述の通り、そこまで詳細な記述が現段階で必要だろうかという点で、私はあまり食指が動きません。かつては行田足袋の編集でそのような記録も詳細に収集してWikipediaに反映させたことがありますが、正直、グラフ編集にかけた時間と労力に対してそれが百科事典に必要な解説だっただろうか?と考えると自分でも要らなかったような気がしています。Wikipediaは研究論文ではないので……。
過去に産業化に尽力した人物については、記載できるといいですね。
4. 鎌倉時代の普及は「報恩講」の影響とされています。「講」という仏事は現代には馴染みのない方も多いかと思いますが、少なくとも北陸・近畿の日本海側では現代にも隣組単位の地域行事として広く農閑期の冬に普及しているもので、例えば私の居住する地区には今も冬場の2ヶ月の間に「秋葉講」「稲荷講」「先祖講」の3つの講の行事があります。内容はおおむね、地区内各戸の家長が1軒に集まり経を唱えて宴会を催すというもので、現代では家庭の負担軽減のため公民館で開催し仕出し弁当を用意するという地区が多いかと思いますが、ほんの数十年前まではおおよそすべての一般家庭に、最少でもその集落の戸数分の漆器と膳のセットがありました。年に複数回は確実に使用する食器としてどの家庭にも数十セットを備えたものですので、日用品と変わらない安価なものであったろうと思います。
5. この項目はもともと3800バイト程のほとんど無出典だった項目を加筆したものです。加筆にあたり、明らかに百科事典的でない未来の願望的な記述は除去しましたが、内容が誤りとはいえない記述については、加筆のために私が読んだ文献で出典を補記できるところは補記し、確認できなかった部分についてはそのまま残しています。結果、この項目には現在もたしかに無出典の記述が散見されますが、内容が誤りでないことは現地資料館で確認しています。いまなお無出典なのは、たまたま私の収集した文献のなかにはそれらの点について言及したものがなかっただけの理由です。
そうした「無出典だが有用な記述」はWikipediaには山ほどあるもので、一律に除去するとWikipediaそのものがスカスカになってしまいますよね。であれば、この項目にだけ厳格に出典を求めるのは公平ではなく、それを書いた先の編集者を尊重して記述を残し可能であれば出典を探して補記するのが望ましい加筆対応であると私は考えます。少なくとも、越前漆器に興味をもってこの項目を読んだ際に有用な内容の記述を、一般読者にはまったくどうでもよい星ひとつのために除去すべきではありません。
この点についてご配慮いただき、無出典の記述は問題があるとお考えの方は、新たな出典を探して補記する方向性で丁寧なブラッシュアップをしていただけることを期待します。--漱石の猫会話2024年3月21日 (木) 11:31 (UTC)[返信]
  • 返信 (漱石の猫さん宛) ご返答ありがとうございます。返信おそくなりまして申し訳ありません。
1.「関係者の公刊物になるのは必然」とおっしゃるのは理解できるのですが、それが良質な記事たり得るのか否かという所で意見を申し上げています。一般論としてですが、あらゆる資料を駆使しても良質な記事になりえない項目というものはあると思っています。記事の根幹を関係者の刊行物に頼らざるを得ない記事も、良質な記事になりえないと考えています。申し上げるまでもなく、組合は組合員の利益を最大化するための組織です。1次資料であるならば参照するにあたって十分な配慮が必要です。
2.戦後以降、歴史学で実証主義が重視されて以降「実証されていないものは史実ではない」とするのが常識になっていると認識しています。もちろんこれについての反省等が専門家の間にもあることも承知していますが、これに変わる歴史観が主流になっているとは思っていません。その上ですでに「伝承」と明記された資料を提示しています。加えてWP:RSにも歴史の項目がありますのでご確認ください。両者を比較している訳ではありませんので断定はしませんが、地方史と組合刊行物を比べるならば前者のほうに重きを置くべきと思います。たとえば医療記事を書くとしましょう。巷には疑似医療の本がたくさんあります。そうした本を参照し疑似医療を正しい医療を書くことが良い記事になるでしょうか?ひとつひとつの資料を確認し、どの資料に重きを置くかを判断することは編集者の重要な役割ではないですか?「資料を評価」することと「編集者の感覚」で記事を書くこととは全く異なります。その上で「伝承」の意味合いについてですが、①現在は史実とされていないが実証される可能性(史実になる可能性)も残されている②史実ではない伝承には類型が多い③書かれた内容が史実ではなくとも伝承がつくられたこと自体が大切な歴史の一部である、の3つは抑えていただきたいです。例に出されている『日本書紀』では話の筋が書紀よりも古い大陸の伝承・歴史書に類似している部分があり、これらは史実とは認めがたいとされています。いっぽうで遺跡の発見などで実証され史実と認められた部分も少なくありません。大切なのはひとつひとつ実証していく事であり、一部の例を持ち出して伝承を史実に塗り替えることは許されません。そのうえで越前漆器の伝承は何一つ実証されていないと感じていますので、やはり伝承とすべきです。古い史料が残存しないという事も理由にはなりません。日本語も時代によって変化しますので、現存する史料に記されている文章を調査すれば、少なくとも現存史料の原本がいつ頃成立したのか凡そ確認できます。そういう調査がされていないのであれば伝承とすべきです。③についてですがたとえば瞽女の宇多天皇とする伝承を例にだします。近世に江戸で習い事ブームが発生したとき、つらい門付を嫌った一部の瞽女が瞽女唄を庶民に教える「お師匠さん」になりました。これに対し伝統的な門付を重視する集団が仲間内の結束を強めるために創り出した伝承という説があります。伝承の内容自体は否定されても、伝承が生まれたこと自体は大切な歴史です。むしろ伝承の内容を史実化することで、失われる本物の史実があるという面も無視してはいけません。以下は完全に私の雑感で記事に対する指摘とは切り離していただきたいのですが、明治末から昭和初期まで日本各地で天皇を顕彰するブームが発生しました。橿原神宮を初め天皇を主神とする神社が各地で新しく作られた時期です。越前漆器と継体天皇の伝承もこうした時期に地域柄と結びついてつくられた可能性も専門家によって検証されるべきでしょう。周辺に類型の伝承が多いようなので、まとめて検証すれば新たな歴史が見えてくるかもしれません。こうした視点も大切な地方史です。
4.講についての認識には異論ありません。が、講が行われるのは「ハレ」だと思っていますので、「ケ」の品とは別ではないかという認識です。品質や価格ではなく、使われる場面についての解説と認識していますので、この点一致しないと感じました。
3.5.については、意見の相違はないと存します。--あずきごはん会話2024年3月24日 (日) 06:14 (UTC)[返信]

コメント 基礎的な確認で恐縮ですが、「良質な記事」選考は主筆者を含むそれまでのその項目の編集者が気づいていなかった観点を多様な目で読んで指摘いただき、改善に繋げられる良い仕組みだと思っており、私はけっこう好きですが、執筆者の試験ではないのですから、項目に使用されていない文献を確認できる環境にある方は、どんどん御自身で加筆修正をいただけないでしょうか。

検証可能性を最上とするWikipediaの方針下では、執筆はまず文献調査ができなければ話にならず、文献調査の可否には個々の生活環境と「どこまで時間やコストをかけられるか」が大きく影響します。私は、これが京都府北部地域の項目であれば、現在のWikipediaコミュニティに私以上に現地の公共図書館や資料館でしか確認できないような文献にあたれる人は多くないでしょうから、百科事典にそこまでの内容が要るか?と疑問に思っても、あったほうがいいという皆様の御意見にはできるだけお応えできるように時間を割いていますが、越前漆器はそのような私に文献調査環境の優位性がある題材ではありません。

現に、このノートにおいても皆さまこの記事に現在使用されていない(=私や先の編集者がアクセスしていない)文献を見つけていらっしゃるのですから、この項目は私以外の方でも、場合によっては私よりも費用対効果よく加筆修正が可能な方がいらっしゃることが証明されているわけです。であれば、そのようなスキルと環境にある方は、どうぞ主筆者に遠慮すること無く、お気づきになった不備の解消にお取り組みいただきたいと思います。

私はこの越前漆器という項目に、およそ1年前に旅先で興味を持って現地滞在時間内に可能な範囲で資料を集め、帰宅後に居住自治体の公共図書館から取り寄せ可能な範囲で資料にあたりました。長らく放置しており内容をまとめたのは最近ですが、その程度でも前述の通り百科事典の項目として不足のない水準にはなったと考えているので、今現在、御指摘を受けて私自身が「たしかにその点について記述が不十分だった」と感じた部分以外まで、未読の文献を探して追加調査をする予定はありません。それよりも、未だ理論社やポプラ社のような大手出版社の児童書にも書いてあるレベルの特徴すら書かれていない他の漆器項目について調査し加筆修正をしたり、編集者のほとんどいない地域や分野の項目を広くフォローをするほうが緊急性や必要性が高いと考えているためです。主筆者として、コメントくださった皆様のご期待に添えない回答でしたら、申し訳ありません。--漱石の猫会話2024年3月21日 (木) 11:31 (UTC)[返信]

  • 返信 (漱石の猫さん宛) なぜ「執筆者の試験」と受け取られるのか分かりません。私は良質な記事に相当するか否かを判断し、そのうえで選考のルールに従い理由を述べているだけです。また冷たい言い方になりますが記事そのものを評価しているのであって、その向こうで執筆されている方を評価しているわけでもなく、また個別の事情をくみ取る必要はない(敬意は必要ですが)と考えています。その対応を主執筆者を含めて誰かに強要するような気持ちは微塵もありませんし、私の意見を全て無視していただいてもかまいません。もちろんその場合、私の票は変わりませんが。
内容に問題があるのであれば意見だけでなく加筆修正してくださいとのご意見ですが、執筆に参加するか否かは個人に委ねるべきです。呼びかけに応じる人が居たならばラッキー程度に考えてほしいです。そもそも良質な記事の選考にかけられる程度に完成された記事は、1つ2つ資料を見つけた程度で編集に手が出せるレベルではありません。多くの資料を探し、目を通し、理解し、執筆する事に時間がかかることは、漱石の猫さんご自身が良くご理解されているはずです。2週間という短い選考期間で、それらをこなして良質な記事に達するレベルの修正を行うのは不可能です。
逆に想像してみてください。毎月多くの記事が選考に掛けられます。それらすべての記事にそれだけの時間を掛け、選考に参加する人がどれだけ居ますか?私が選考に票を入れるようになったのは最近ですが、その理由は選考に参加する人が少なかったからです。最近ではなくなりましたが少し前までは誰もコメントや票を入れず選考期間が自動延長されることが頻繁にありました。特に具体的な理由の開示が求められる反対票を入れる人は少なく、いまなお賛成票だけしか入れない参加者も少なくありません。(批判ではありません。念のため)選考に参加する人が増えて欲しいと思う私からすれば、ルール以上のものを要求しないでいただきたいという気持ちです。WP:EPにも「多様な参加姿勢が受け入れられます」とあります。選考で口出すだけで煩わしいと思うかもしれませんが、様々な貢献のあり方を許容していただきたいです。
漱石の猫さんの執筆に対する向き合い方は承知しました。すごく大切なことで継続していただきたいと思いますが、であれば良質な記事に選ばれる事の優先順位を落としても良いのではないでしょうか?私の少ない経験では、限られた期限で選考を通そうと考えると辛いことも少なくありません。そのほか私の指摘に関するご返信への対応は改めて行います。--あずきごはん会話2024年3月22日 (金) 15:30 (UTC)[返信]
  • 返信 (あずきごはんさん宛) ご不快を与えてしまったようで、申し訳ありません。私はまさに「呼びかけに応えて題材に興味を持ってくれる人がいたらラッキー」くらいの気持ちで気安く書いていましたが、個人宛の返信で述べることではなかったですね。あずきごはんさん宛のところに書いた加筆の呼びかけは取り消します。また、「執筆者の試験ではないのですから」はその後に述べる「記事の評価なのだから誰が加筆修正してもいいでしょう」という趣旨の呼びかけの強調の意図しかありませんでしたが、誤解を招く表現であったようですので、これも取り消します。
ここで私が期待した(している)加筆は、たまたまでも手に取られた本にこの項目に現在ある無出典の記述の内容が書いてあったなら、その出典を追記してくれたらいいな、という1Lib1Ref程度のことでした。ご負担に思われたのでしたら私の言葉足らずです。申し訳ありません。
本来は別の場所で申し述べることだったのかもしれませんが、私の執筆姿勢をお知りいただける機会になったのであれば嬉しく思います。あずきごはんさんのおっしゃる通り、私はこの項目が良質な記事に選ばれることを優先していません。そうであればとうにコメントに応えて追加調査を行い加筆しています。あずきごはんさんが教えて下さった『鯖江市史』はデジコレですから、私にもアクセス可能な文献ですし、Nux-vomica 1007さんも有用な文献を挙げてくださっているので、正直この記事の成長にはたいへん興味があります。あずきごはんさんのコメントは有用と考えていますので、そのうち機会があって私自身がこの記事を加筆する時にはおおいに参考にするでしょう。遠慮なくお書きいただきたいと思います。
1500年前の発祥の諸説についてはご指摘の通り、この記事の完成度を高めるためには書くべき内容だと思っています。とはいえ私自身が文献で確認していないものを書くことはできないので、今現在それが可能な方がいらっしゃるならあずきごはんさんでもNux-vomica 1007さんでも他のどなたでも、興味を持った方が書いてくれればいいと思っていました(います)。それは別に選考期間でなくてもよいし、今後何年も現状のままであればそのうち私が書くかもしれませんが、書かないかもしれません。「良質な記事」にどこまでの内容を求めるかは個人差があって当然で、私はWikipediaに研究書レベルの内容を求めていないので現状でも不足はないと思っており、そのため私はこの記事に反対票は投じません。しかし、私自身がこれまでに主筆者として関わり良質な記事になっている類似分野の記事と比べて、この記事の完成度が高いとも思っていないので賛成票も投じませんし、ここに自動推薦されるまでの過程でも投票していません。もちろん、この点が改善されなければ賛成できないとお考えになる方の基準も否定しません。ただ、これまた脱線しますが、私は良質な記事の現在の選考の「コメントに対応すれば賛成します」的な風潮にはやや賛同できない感覚もあり(賛成・反対の表明とコメントやそれに対する対応は切り離して考えるべきだと思っています)、今回コメントで意見を述べたのはこの風潮に一石投じたいなと思ったところはあります(批判ではありませんので聞き流していただいて構いません。)。
このたびは選考内容に関係ないところでご負担をおかけしたようで、申し訳ありませんでした。改めてお詫びします。今後とも選考では忌憚ないご意見をよろしくお願いします。--漱石の猫会話2024年3月22日 (金) 23:27 (UTC)[返信]

選考終了時点で、賛成0票、反対1票より、見送り。--Family27390会話2024年3月25日 (月) 10:08 (UTC)[返信]